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加害者を許さなければいけないのか?

――被害者は加害者を「許さなければいけないのか」。こんなに反省しているんだから……とつい周りは思ってしまいますが、奈月に限らず、被害者からすればこんなに苦しい状況はありません。この問題についてご意見をお聞かせください。

 わたしは保育園で働いていますが、保育現場でよく見られるのが「ごめんね」→「いいよ」の強制です。

 加害者に「ごめんね」と謝られたら、被害者は「いいよ」と許してあげなければいけない、と教える先生は多いです。謝られたら、許してあげましょう。これを小さい頃から教え込むのです。これは、人間関係を円滑にするためには必要なスキルと言えます。ですが、あまりにも加害者寄りの考え方とも言えます。

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 被害者に「許さない」という選択肢を与えないのは、暴力的なことかもしれないなと思います。一般的に「許し」は良いこととされ、成熟している証とされるのに、「許さない」というのは、わがままで、子どもっぽいこととして捉えられることが多いのではないでしょうか。それが更に被害者を苦しめている気がします。

『99%離婚 離婚した毒父は変われるか』より

 個人的に、許す許さないはどっちでもよくて、許した方が楽になるならそうすればいいし、そのタイミングではないなら、許す必要はないと思います。加害者目線で言うと、「人を傷つけても謝ったら許してもらえる」というよりも、「謝ることはできるけど、許してもらえるかはわからない」が正しいような気がしています。

――奈月を支えてくれたのは婚約者の陽多、そして鳥羽にはシェアハウスから派生したGADHA的働きを持ったコミュニティがありました。被害者はもちろん加害者側にも支えてくれる人は必要ですよね。陽多やコミュニティの面々についてお伺いしたいです。

 シェアハウス自体が自助グループ的な役割を果たしているところが今作の特徴的な部分だと思っていて、シェアメイトである深沢、赤城、鳥羽の3人は同じような境遇を持った独り身のおじさんたち。

 一般的にイメージする独身おじさんたちの暮らしぶりとはちょっとイメージの違う生活をしていると思います。彼らは日々の掃除洗濯炊事などをきちんと自分たちでこなしていて、時にはクッキーを焼いたりもしている。

『99%離婚 離婚した毒父は変われるか』より

 そこには女性の姿はありませんが、自分たちで自分たちのケアをしている。生活面のみではなく、精神的なケアもおじさん同士でし合っている、というところが特に描きたかった部分です。

 原作者の中川瑛さんの運営するGADHAも、「加害者同士でケアをし合う」というところが重要な要素ですので、まさにGADHAを具現化したような場所になっていると思います。