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 このとき、坂崎はちょうど翌日にライブがあったので、高見沢に「ちょっとギター手伝ってくれない?」と持ちかける。断る理由もなく、会場のライブハウスに赴いた高見沢は、そこで顔を合わせた桜井の怪訝そうな表情をいまでも覚えているという。桜井に言わせると「ハードロックの人間が何しに来たの?」と思ったらしい。

 それでも3人が互いに影響し合うようになるまで時間はかからなかった。桜井は高見沢の影響でクイーンを歌うようになり、高見沢は坂崎からフォークギターを教わった。

高見沢俊彦(右)、桜井賢(左)、坂崎幸之助(2001年撮影)

 麻雀をするときも、それぞれ好きなレコードを持ち寄って聴かせ合った。高見沢はだいたいハードロックをかけていたが、坂崎のほうが先にディープ・パープルの「紫の炎」を買ってきたときはびっくりしたという。逆に坂崎は、高見沢がさだまさしや加川良といった日本のフォークを聴き始めたことに驚かされる。そのなかにあって、桜井だけはレコードを買わなかったというのが可笑しい。《2人がいろいろと買ってくるから、一緒に聴いて、「いいよね」と。それを聴けばいいんだよ……同じバンドなんだから》というのがその言い分だ(『週刊朝日』2014年6月27日号)。

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デビュー後の厳しい現実

 実演の面でも、桜井より高い声の出る高見沢が入ってくれたおかげで、それまで高音で歌えなかった曲もできるようになった。それが坂崎にはうれしかったという。ここから、リードボーカルを立てず、3人が同じくらいのボリュームで歌い、1人が歌えば2人はコーラスをつけるというスタイルができあがっていく。大学2年のとき、レコードデビューが決まったのも、ビクターのディレクターが彼らのハーモニーを気に入ってくれたからだった。

 しかし、いざデビューすると彼らの意見が受け入れられる余地はなかった。アイドル路線で売り出され、曲も知らないうちに用意されており、高見沢はギターは弾かなくていいからと、ハンドマイクで歌わされた。バンド名もコンフィデンスのままだと、オリコンの略称で知られる音楽情報誌の『オリジナルコンフィデンス』とまぎらわしいとの理由で、アルフィー(当初の綴りはALFIE)に改名されてしまう。

 ちなみにデビューシングルは、のちにゴールデンコンビと呼ばれる筒美京平作曲・松本隆作詞による「夏しぐれ」という曲だったが、さっぱり売れなかった。2枚目のシングルも1stアルバムもパッとせず、あげくの果てに、起死回生を狙った3億円事件のパロディソング「府中捕物控」が、リリース直前にレコード会社の一方的な理由で発売中止にされてしまう。これには、それまで周囲に言われるがままやってきた3人も怒ったという。一方で反省もした。坂崎はこのときのことを次のように振り返っている。

《結局、自分たちが、しっかりしなきゃ、歌いたいものを持たなくちゃだめなんだ。悪いのは、表現したいものを何も持っていない僕らだ。そう考えて、レコード会社をやめてしまった。あんまりそのことについて、3人で話し合った記憶はないんですが、もう一度アマチュアに戻ってやりなおそう、自分たちで曲を作って、曲がたまったら、またレコード会社を探せばいいやと、それぞれが思っていたのは確かです》(『婦人公論』2000年6月7日号)