それぞれの活躍
坂崎も、加藤和彦との「和幸(かずこう)」をはじめ、先輩ミュージシャンたちとたびたびユニットを組んできた。音楽ばかりでなく多趣味なことでも知られ、高校時代はギターか熱帯魚のブリーディングのどちらかでプロになろうと思っていたという。デビュー後は爬虫類などにも関心が広がる。猫も好きで、それが高じて野良猫の保護にも力を入れるようになった。趣味にはこのほか、写真の撮影や和ガラスのコレクションなどがあり、いずれも玄人はだしの腕前、鑑識眼を持つほどのめり込む。
桜井は、テレビなどでは寡黙な印象があるが、実際はよくしゃべるにもかかわらず、《しゃべるとイメージがどうのこうのって言われて、一応、しゃべらないほうの役目をしてるんです》とかつて語っていた(『月刊カドカワ』前掲号)。アルフィー以外で表舞台に出ることも、ほかの二人とくらべるとほとんどない。それだけに、コロナ禍でしばらくライブができず、久々に活動を再開したときには、こんなふうにぼやいてもいた。
《2人は他の仕事もあるけど、僕の場合はALFEEしか活動がないから、ライブという本職がなくなったら、何もすることがない。最初は楽だなと思ったけど、ここまできたらまだやらないの? となるじゃないですか。でもこの、コロナ禍で3枚シングルを出して、「Come on! ALFEE!!」という配信も始められた。やっと仕事ができたって感じですね》(『サンデー毎日』2021年9月5日号)
昨年リリースの通算72枚目のシングル「鋼の騎士Q/Never Say Die」では、4タイプあるジャケットのうち、桜井がセンターにいる通常盤がSNSなどで話題となった。桜井がジャケットの真ん中に立つのは、じつに1979年のシングル「冬将軍」以来44年ぶりであった。
「これだけ長く続けられた」理由
アルフィーの3人は、バンドとして年数を重ねるたび、なぜここまで続けてこられたのかと訊かれてきた。これに対して彼らは、「3人とも次男坊で、どこかのんびりとしていて、互いに譲り合ってきたから」とか「ほかのバンドのように若いとき熱いと、年を重ねるうちに冷めてしまうが、アルフィーは適温を維持して『ぬるま湯の関係』を保ってきたから」などといった答え方をしている。だが、高見沢は昨年、デビュー50周年を前に《これだけ長く続けられたのは、僕らの力だけでは無理だと思いますし、もちろん長年応援してくれたファンの方の情熱があってこそだと思っています》とも語っていた(『週刊朝日』2023年6月2日号)。
現在、アルフィーは50th Anniversaryの全国ツアー中で、坂崎の誕生日だった一昨日(2024年4月15日)の新潟公演の時点で、デビュー以来のライブ通算本数は2893本を数える。不遇な時代もステージを重ねることでファンを増やし続け、それがのちのブレイク、さらには長らくバンドを続ける原動力となった。これほどまでにファンと理想的な関係を結んだバンドもないだろう。