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――光男社長はずっと父親の会社で働いていたんですか?

藤山 実は私は継ぐつもりは全然なくて、大学を出て食品会社で3年ほど働いていました。ただ会社を継ぐはずだった2番目の兄が仕事と合わなかったようで退社したことで「お前がやれ」と30歳になる前に呼び戻されたんです。選択肢なんかなかったですよ(笑)。父は薬局も甘栗も飲食店も全部1人でやっていたんですが、私が40歳のときに亡くなり、一番上の兄が薬局を引き継いで、私が飲食関連の会社を引き継ぎました。今は別会社になっていますが、事務所は同じで、机を並べて仕事をしています。お互いに仕事の話はほとんどしませんが(笑)。

藤山光男社長(左)と、30年以上店長を務める橋本さん

――光男社長が会社を継いだ頃には、甘栗のピークは過ぎていたのですか?

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藤山 完全に下り坂でしたね。60年代から70年代に、出店していた商業ビルやデパートなどの建て替えが始まったんです。甘栗店は2坪もあれば十分なんですが、新しいビルではそんな狭いスペースを作ってくれないし、逆にあんまり広いスペースだと家賃が高くて入れない。そうして店が徐々に減っていき、渋谷の井の頭線の下にあった店もマークシティができるときに撤退して、甘栗店は本店だけになりました。ただ周りで甘栗を売っていたお店も無くなってきて、なんとか生き残っているという感じです。

後継者の長男が「イベントスペースにしても儲かるはず」ということも

――そんな社長も65歳になられて、まだちょっと気が早いですが後継者などは決めていらっしゃるんですか?

藤山 幸い長男が継いでくれるようで、すでに会社にも入社しています。「あんないい場所、イベントスペースにしても儲かるはず」と色々試行錯誤もしてくれています。甘栗屋を守って欲しい気持ちはもちろんありますけど、私の父もいろいろやって甘栗に辿り着いたわけなので、最後は任せたいと思います。サラリーマンをしている次男も、手伝ってくれると思いますしね。

本社では栗を洗うだけで、スクランブル交差点のお店の釜で焼いている

――渋谷駅前にも再開発の波が押し寄せていますが、本店は大丈夫ですか。

藤山 実はうちの周りは昔からの個人店さんも多いんですよ。本屋さんとか、食べ物屋さんとか。再開発の噂はないわけではないのですが、公式には何も出ていません。土地の所有者は東急電鉄さんですが、兄の薬局関連の会社が借地権を持っているので、兄が“出て行け”と言わない限り、当面は大丈夫だと思います(笑)。

 家賃は安くないですけど、うちは他にも渋谷で焼き肉店「牛繁」のフランチャイズをやっていたり、宇田川町と道玄坂で中華料理の「兆楽」という飲食店を経営していて、そちらの収益もあります。今にも潰れそうに見えるみたいで(笑)、常連さんから、「やめないでください」「ずっとお店を続けてください」と励まされるんですが、なんとか黒字でやってますから大丈夫ですよと。

撮影中も多くのお客さんが訪れていた

 渋谷の70年を見守ってきた甘栗屋は、まだまだ大丈夫そうだ。