恐山の禅僧がテレビ取材に消極的には、かつて「隠し撮り」されたトラウマがあるから……。恐山菩提寺で住職代理を務める南直哉さんが某局から受けた驚きの扱いとは? 最新刊『苦しくて切ないすべての人たちへ』(新潮社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
僧侶が驚いた「テレビ局の隠し撮り」
2022年9月、テレビに出た。某公共放送の「看板番組」と言われるもので、ゴールデンタイムもいいところの放送だった。過去にも数回出たことはあるのだが、これほどの有名番組は初めてである。
「ブラタモリ」という番組で、あのタモリさんが恐山にやって来て、私や下北半島の地質を研究している方々が、彼を案内するという体裁のもので、檀家が「方丈(禅寺の住職がいる書斎・居室。転じて住職の呼称)さんがブラタモリに出る」という情報を回覧する事態になり、改めてタモリさんの「偉大さ」に恐れ入った次第である。
幸いに番組は好評だったようで、お褒めの言葉をいただいたりしたが、実は、現在の恐山はメディアの取材については慎重かつ厳格である。基本的に、仏教か恐山信仰そのものをテーマにするものしか許可しない。例外は、参拝者が自由に拝観できる風景や建物しか撮影しない「旅番組」で、これには比較的寛容である。
絶対に許可しないのは、境内のイタコさんの撮影と、「心霊」関係の番組である。これは理由の如何を問わずダメである。恐山参拝者の心情と信仰の護持を最優先する山主の方針で、私も最大限尊重している。
恐山とは別に、私個人への取材依頼もある。そういう時は、テレビの場合、私へのインタビューか、誰かとの対談しか受けない。以前、私に3か月「密着」するというドキュメンタリー番組から依頼があったが、即座に断った。いつもの晩飯の様子や、移動中の新幹線の中まで撮って、何の意味があるのかわからなかったからだ。
テレビ出演を断ったことを後悔したことが一度だけある。
それは道元禅師の主著『正法眼蔵』を都合100分で解説するという番組で、依頼された瞬間、「やろうかナ」と思ったのだが、自分が斯界の「アウトサイダー」だという自覚があったので、ここは「保守本流」に譲ったほうが奥ゆかしいだろうと、ガラにもなく謙遜し、その筋の学者を推薦して、辞退したのである。
ところが、出演したのはその学者に非ず、『眼蔵』については素人同然の評論家であった。当時、ネット上にも「あの人選はなかろう」とか、「アレなら南直哉を出したほうが面白い」というコメントがあったと、後で知人から聞いた。確かに「アレならオレがやるべきだった」と後悔したものである。
かくのごとく、概して私がメディア、とりわけテレビの取材に消極的なのには、実は理由がある。トラウマがあるのだ。
私がテレビに生まれて初めて「取材」されたのは、今から40年近く前、永平寺に入門して2年目のことである。某公共放送の永平寺特集に「隠し撮り」されたのだ。