「いいもんだね、リーチ」
私は早速、牌を横にした。
すると、悪いね、と対面が手牌を倒した。
いつかと同じで、信じられぬ不運が待ち構えていた。勝負する牌がすべて誰かのアタリ牌になってしまうのだ。
陽気に負け続けたムツゴロウを待っていた結末
私は、はじけるように笑いだした。
「どうしたんだ、涙なんか流しちゃって」
「ははは、だって、おかしいじゃないか」
「何が、おかしい」
「ふふふ、おれ、アタリ牌を選んで切り出しているみたい」
「それがおかしいことか」
「おかしくないのかい、ははは……」
陽気に負け続けた。
辛抱もクソもないのである。私が河に置くものは、すなわち誰かのアタリ牌という進行になってしまった。
三荘目、家から電話がかかってきた。
「あなた、アタリよ」
女房の声は弾んでいた。
「宝くじか」
「そのようなものね。あなたの本が」
「や!」
いいことがあれば、へこむ部分があるのが人生なのだろう
「そうなのよ。賞をいただいたの」
「なるほど」
「新聞社から電話が入ってるの。帰ってきてくれる?」
「よし。すぐ戻る」
エッセイの賞であったが、これで世の中に出たと私は確信した。目の前の扉が開いた感じがした。
それからは原稿の注文が、切れずにくるようになった。ひょんな事情で出版した本が賞をいただき、私は、原稿を出版社に持ちこむことなしで終わってしまった。
今でもときどき、賞のしらせがあった時の麻雀のことを思い出すのだが、何か嬉しいことがある前日、麻雀をやっていると、ツキがまったくなくて、放銃を繰り返し、阿呆みたいに負けるようである。
「他のことでツク時には、麻雀の方のツキが落ちるのかなあ」
と、私は考えるようになった。あちらもこちらもツクというのは、贅沢というものかも知れなかった。こちらでいいことがあれば、へこむ部分があるのが人生なのだろう。