当時、大幅な増強が行われたのは、今は消滅した「地区施設隊」という部隊だ。1957年に5個部隊が編成されたのを皮切りに、1962年までに25隊が編成され、施設大隊といった施設部隊が未配置の県にも配置されている。
これによって、ほぼ全ての県に施設部隊が配置されることになったが、この地区施設隊は事実上、その地域の部外工事専門だった。それだけ部外工事の需要が大きかったといえるだろう。
民間業者とは微妙な対立関係も
しかし、自衛隊が民間業者より安い費用で公共工事を受託するのは、民業圧迫になりかねない。実際、1960年には建設業の業界団体である全国建設業協会が、防衛庁に工事受託を抑制するよう申し入れをしている。この申し入れによって、自衛隊は地域の地方建設業協会長の同意を得なければ、部外工事の受託は行わないことになった。
ところが、全国建設業協会が発行する『全建ジャーナル』1965年5月号によれば、この合意が守られておらず、空文化している地域も存在することが問題視されている。現実問題として地域が望んでいる工事を民間業者が反対するのも、住民感情を考えると難しく、民間業者が渋々部外工事を認める例も少なくなかったようだ。
逆に施設部隊側が民間業者に苦しめられる事態もあった。日本各地で開発が行われていた時代、建設技術や建設機械に習熟した人材は引く手あまただった。施設部隊の教育を行う施設学校を出て現場経験を積んだ隊員を、民間業者が引き抜いていくことも多かったという。
防衛施設学会がまとめた『陸上自衛隊部外土木工事のあゆみ』によれば、平成31年(2019年)までに保安隊・自衛隊が行った部外工事の件数は8269件、総土木量は約1億7000万㎥に上る。
受託件数のピークは1962年の479件だが、以降は民間業者の保有する建設機械数が一気に増大し、それに反比例する形で部外工事は減少していき、2006年以降は受託件数0の年も珍しくない。
かつて、国土建設の担い手として全国で部外工事を行ってきた自衛隊施設科部隊。現在は国内で部外工事を行うことはほとんどなく、むしろ国際貢献活動での工事の方が知られているかもしれない。しかし、彼らが行った工事の痕跡は今も様々なところで見ることができる。
近年観光スポットとして人気が上がり、これを書いている4月下旬現在、ネモフィラの花が見頃を迎えている国営ひたち海浜公園だが、常磐線勝田駅から観光客が海浜公園へ向かう臨時バスが走る昭和通り(さんさん通り)も、自衛隊勝田駐屯地の施設教導隊の手で拓かれた道路だ。
今も地域に貢献している部外工事の遺産は、あなたの近くにもあるかもしれない。