そんな施設科がかつて引っ張りだこだった平時の任務が「部外工事」だ。雑誌『建設者』の1964年12月号によると、この当時は自治体から自衛隊に部外工事の要請が殺到し、60%程度しか受け入れできなかったという。
ここまで要請が殺到した最大の要因はコストだった。部外工事の場合、要請者である自治体が負担するのは資材費や燃料費、旅費、通信費といった経費だけで、人件費や器材に関わる費用は自衛隊側が負担していた。つまり、民間業者に頼むよりも格安に公共工事が行える。これに多くの自治体が飛びついた。
民間業者だと1億円かかるものが、4720万円でできる?
部外工事の費用を挙げると、観光道路として知られる米沢―裏磐梯線(西吾妻スカイバレー)は、1956年に山形・福島両県からの依頼によって陸上自衛隊が建設に携わり、1961年の完成までに山形県側だけで延べ2万9300人の隊員が工事に参加した。総工事費は民間業者では1億円はかかったとみられているが、4720万円で済んだという。
公共工事が半額で済むのだから、地元は歓迎ムードだ。当時の様子を伝える報道がある。
米沢市にゆくと自衛隊はたいへんもてる。先月植木盛一尉指揮の建設作業隊百二十人が到着したら、米沢市役所前ではかつての出征軍人を思わせるような歓迎会が開かれた。ミス市役所の花束贈呈、市長の激励と感謝のことば。山奥の起工式には県知事が出席して最初のダイナマイトに点火した。工事がはじまったのちも、地元の婦人会員が毎月一・二回交代で宿舎を訪れ、慰問袋を届け、洗たくやつくろいものの世話をしている。「地元民のため骨身惜しまず働く隊員の気持が正しく理解されたのです」と防衛庁幹部は得意そうだ。「米沢がサービスするのは、愛されたがっている自衛隊の“弱み”をついたんです。市民はちゃんと計算していますよ」(ある米沢市民の話)という声もあるのだが……。
毎日新聞1961年7月5日
この記事中、「愛されたがっている自衛隊」という話が出てくる。これは創隊間もない頃、自衛隊が掲げていた「愛される自衛隊」というスローガンを受けてのものだ。
戦争の記憶が新しい国民の軍事への忌避感情や憲法問題に直面していた自衛隊は、全隊を挙げて国民からの信頼獲得に努めていた。その施策の1つとして、部外工事があったのだ。それに公共工事を進めたい自治体、まだ民間業者の機械化が進んでいなかったことといった要素が合致した。
部外工事の受託件数がピークに達した1962年頃の陸上自衛隊の人員計画を見ると、部外工事が自衛隊でいかに重要な役割を持っていたかがわかる。前年の1961年度に陸上自衛隊員1500人の増員が国会で認められているが、この増員分のほとんどが施設部隊の増強に当てられている。