生まれ育った“特殊な環境”とは?
――昨年、親子で同席したある会見の場で「愛流をけっこう特殊な環境で育ててしまった」とお父さまが話していました。特殊な環境というと?
窪塚 小学1年生のときに福島で原発事故が起きて、直後に家族で関西へ引っ越したんです。幼馴染と離れたり、そのあと両親の離婚があったりして、物理的には近くに親がいましたが、心のなかではひとりぼっちだなとよく感じていました。
慣れない土地で、家庭環境も複雑ななか、そばにいてくれたのが映像作品でした。まだ幼かったので、アニメをずっと観ていたことを覚えています。
いまは新しい母親と実の母親、父親と僕とで仲良く交流していて、僕からすると母がふたりいるような感じです。中学2年生のときに妹が生まれて、14歳にしてお兄ちゃんになったのも、特殊なことなのかもしれません。
――でもご自身の実感では、特殊だと感じていないようですね。
窪塚 自分はそれが当たり前だと思ってきました。むしろその環境だったからこそ、人に感謝できる人間になれた気がします。なにもない1日を楽しむとか、考え方を豊かにしてくれたのもその環境だと思います。
たしかに悩んでいたこともあったし、ひとりで縮こもっている時期もありました。でもそれがいつか俳優の仕事の肥やしになるかもしれないので、いまはすべてプラスに考えています。いままでの人生をネガティブには受け取りたくないです。
孤独を紛らわせてくれたのは映像作品と……
――ひとりぼっちだったときに孤独感を紛らせてくれたものは、映像作品のほかになにかありますか?
窪塚 引っ越してきた初めのころは家がダンボールだらけで、ひとりでいると気分が下がってしまうので、近所の公園で友だちを作っていました。それも親同士がまず仲良くなるのではなく、ひとりで公園に行って、帰るときには公園のみんなが友だちみたいな(笑)。そこから家族ぐるみで仲良くなって、いまも仲のいい友人がいます。
初対面の人とも壁を作らずに触れあえるタイプなんです。それは昔から変わらないと思います。