久米宏さんが見せた、テレビマンとしての気骨とショーマンシップに震えた
時間制限のない競技の生中継は編成上厄介なのだろう。好きなドラマやバラエティが中継の延長で押したり飛んだりすれば怒る人がいるのもわかる。けれど「いつまでやるの」「どうなっちゃうの」という不確実性こそがスポーツの醍醐味であり、それを映して伝えるのはかつてテレビの独擅場だった。だからこそ、一九八八年のパ・リーグ最終戦、俗に「10・19」と呼ばれる十月十九日近鉄対ロッテのダブルヘッダーが急遽『ニュースステーション』に引き継がれた時のことが忘れられない。伝えなきゃならないニュースがたくさんあるんですけどね、と笑いながら中継を続行させた久米宏さんに、テレビマンとしての気骨とショーマンシップを感じて体が震えた。試合の行方もさることながら、歴史的なことが起きている、という事件性が加味されたのだ。映像には、後から観ても良いものと、その時観なければ意味のないものがある。勝たない限り近鉄の逆転優勝はない川崎球場での第二試合は四時間を超え、同点のまま最後の守備についた近鉄野手に日本中が見入ったそれが、結果的には昭和最後のペナント争いとなった。
時代は移ろい、スポーツを観るにもBS、CS、配信と選択肢は広がり、観たい人が観たいものを観たい方法で見るようになった。地上波テレビには、もうかつてほど伝え手としての使命感はなくなったのかもしれないが、同時に「どうせなら確実性のあるものを伝えなければ」という切迫感が高まっているようにも思う。五輪でメダルの実績も積んできた日本の男子4×100mチームがまさかのバトンミスをして予選失格となった後に、はい、見所は終わりました、と言わんばかりにその他のレースが放送から切り捨てられたように見えてしまった。しかし実は私もその敗退の瞬間、「ちぇーっ!」と叫んで一度はテレビを消したのだ。結局3分後にはまたスイッチを入れていたものの、一体いつから自分はこんな風に勝てる見込みのあるものしか見たがらなくなってしまったのだろう。