スポーツ中継の見方が多様化して久しい。BS、CS、配信と選択肢は広がっており、かつて独擅場だった地上波テレビは往時の勢いを失い、さらには伝え手としての使命感も失ってしまっているのかもしれない……。2019年の世界陸上で日本の男子4×100mチームが予選失格となったのをテレビで見た西川美和氏が抱いた感慨とは?
ここでは、『ゆれる』『ディア・ドクター』『すばらしき世界』など、数々の話題作を手掛け、またエッセイ・小説の名手としても知られる映画監督の西川美和の最新エッセイ『ハコウマに乗って』(文藝春秋)の一部を公開中。テレビ中継とスポーツの関係性についての鋭い考察を紹介する(全3回の1回目 初出:2019/6/13)。
『太陽を盗んだ男』という映画がある。日本のアクション娯楽作の概念を一変させた一九七九年の作品だ。何しろ内容は中学の理科教師が東海村の原発からプルトニウムを盗んで原爆を自作し、政府を脅迫する、という今なら右も左も映画会社も泡を噴いて倒れそうな話である。主演は絶頂期の沢田研二。皇居前広場に特攻隊の格好のバスジャック犯を無許可で突っ込ませたり、都心のビルの屋上から万札をばらまいたりの無茶苦茶な撮影を敢行して逮捕者も出したと聞く。当時の映画の現場は体制への反逆者、社会不適合者の溜まり場であり、法律、警察、なんぼのもんじゃい、という気概で作られていたのだろう。善悪の彼岸から催涙弾を投げ込まれるような異様な人間観が、教師や世論が諭すのとは別の世界に人を連れて行って魅了した。
その主人公が政府に突きつけた最初の要求が、「ナイター中継を試合終了まで流すこと」だったのをふと思い出した。先日『世界リレー』の地上波テレビ中継が、これから走る選手紹介の途中でぶつりと終了した時のことである。走者たちはレーンに立ち、十数秒もすれば号砲が鳴るというタイミングであっさりCMに突入したのだ。おい、こりゃー!……と映画の中でジュリーも怒ったかどうかは忘れたが、映画の公開当時は毎晩全国で巨人戦の中継が流れ、そして二十一時前にはきっちり放送終了するのが常だった。「どんなに乱暴な編成だろうと、視聴者は巨人戦からは離れない」と確信したような放送局側の作為に屈するほかなかった当時の人々には、ジュリーの要求は胸のすくようだったかもしれない。