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 そのポールがレコーディング中のジョンのスタジオを訪ねてきた。メイがジョンに唇の動きでポールの来訪を伝える。ジョンにとっては解散以来の“サプライズ再会”だが、事もなげに声をかけた。

「ヘイ、ポール。ジャムに参加する?」

 そしてジョンとポールに加えスティービー・ワンダーらその場に居合わせた大物ミュージシャンたちによるジャム・セッションに。まさに夢の競演だ。

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 二人がこうして“和解”していたことはあまり知られていない。ジョンとポールがそろって演奏するのはビートルズ解散後初めてで、これが最後になった。その姿を観るだけでも価値がある。

ジュリアン・レノンの回想とジョンの死

 もう一つ、ジュリアンの存在も大きな見どころだ。ジョンは先妻シンシアとの離婚後、息子のジュリアンと関係が途絶えていた。

 それをメイが取り持ち交流が再開。3人でディズニーランドやパラマウント・スタジオに出かける。そこで俳優のジョディ・フォスターとばったり出くわし一緒に記念撮影も。

ジョンとジュリアン © 2021 Lost Weekend, LLC All Rights Reserved

 子ども時代の懐かしい思い出としてジュリアン自身がインタビューに答えているのが感慨深い。ジョンとジュリアンに親子らしい交流がこの時期にあったのだという事実は胸をほっとさせるものがある。

エルトン・ジョンのコンサートが最後のステージに

 しかしジョンとメイの暮らしは1年半で終わりを告げる。ジョンはヨーコの元に戻り、息子のショーンが生まれると長い“育休”に入る。5年後の1980年、音楽活動を再開するが12月8日、自宅前で銃撃され命を落とす。40歳だった。

 ちなみに私は当時、受験間近の高校3年生。下宿の自室で勉強していたら隣室のバンド仲間Nが血相変えて飛び込んできた。

「お前、こんな時に受験勉強してるのか? ジョン・レノンが殺されたんだぞ!」

 私はこれで受験に落ちました、というと言い過ぎだが、当時あの知らせに多くの人が心を揺さぶられたはずだ。

 ジョンはメイと過ごした1年半を振り返って「失われた週末」と呼んだ。これは仲間と酒やドラッグに溺れる「自堕落な日々」を意味するものと受け止められてきた。

 しかしこの時期、ジョンはエルトン・ジョンと共演したシングル「真夜中を突っ走れ」がソロで初の全米1位に輝く。そのお礼にジョンはエルトン・ジョンのコンサートにサプライズ登場。これがジョン最後のステージとなった。音楽的にも充実していたと言える。