1973年から75年にかけた1年半、ジョンとヨーコは別居していた。その時期に恋人としてジョンを公私にわたり支えていたのが中国系アメリカ人のメイ・パンだった。

 この知られざるラブ・ストーリーをメイ・パン自身が明かしたドキュメンタリー『ジョン・レノン 失われた週末』を、ジャーナリスト・相澤冬樹がレビュー!

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 だってあの頃、僕と妻の関係は冷え切ってたんだ。浮気したこともあった。すると妻が僕に別の女性をあてがってきたんだ。そりゃあ関係持つだろ? そうしたらその女性に惚れこんじゃって…それであの長い“週末”が始まったのさ。妻からの逃避行が。

 ジョンが映画を観たら、さしずめこう語るだろうか。あけすけに言えば、これは三角関係の物語だ。ただし超大物の。

 元ビートルズのジョン・レノンと妻のオノ・ヨーコという音楽界きっての世界的スーパーセレブ。彼らとの関係を、もう一人の当事者であり夫妻の個人秘書だったメイ・パンが語る。これは嫌でも興味をそそられる。

ジョン・レノン © 2021 Lost Weekend, LLC All Rights Reserved

浮気させないための“ヨーコ公認の愛人”

 ジョンとヨーコと言えば、ベトナム反戦のパフォーマンス「ベッド・イン」でも知られるように、夫婦であり同志であり固い絆で結ばれていた。

 ところがこうした言動で当時の米ニクソン政権から敵視されたジョンは精神的に不安定になった。夫婦間にも亀裂が入り、ヨーコはジョンの浮気現場を目の当たりにしたこともあったという。

 そこで「夫が他の女と浮気しないように、自分の身近にいる女性と関係を持たせる」というのは常人にはうかがい知れぬ感覚だが、ヨーコだからそういうこともあるだろう。

ジョンとメイ © 2021 Lost Weekend, LLC All Rights Reserved

 そしたらその関係が本気の恋心になって、ジョンとメイはヨーコのいるニューヨークを離れ、遠く西海岸のロサンゼルスへと移り住んだ。1973年、ジョン32歳、メイ22歳のことだった。

ジョンとポールの“和解”をもたらした

 すると興味深い現象が起きる。疎遠になっていたミュージシャン仲間が次々にジョンの元を訪れるようになったのだ。固い夫婦の絆のタガが外れたからとでもいうように。

 中でも圧巻はポール・マッカートニーとの再会だ。

 ビートルズの楽曲のほとんどをジョンと二人で作りながら、ヨーコの登場もあいまって次第に関係が悪化し、解散へとつながったことはよく知られている。