もしこの絵が1870年のサロン(官展)に入選していたら、美術史は変わっていたかもしれない――。本作を所蔵するシュテーデル美術館は作品解説にそう書いています。モネというと「睡蓮」シリーズに見られるように、印象派らしいパステルカラーの筆触が溶け合う絵を思い浮かべますが、モネ家族の昼食風景を描いたこの絵は、それとは違って黒い絵具を多用した比較的伝統的な画風です。
当時の画家が身を立てるチャンスはサロンでの成功にありました。モネはそれまでにも何度かサロンに入選していますが、「昼食」は231.5×151.5cmという大きなサイズであることから、かなりの意欲作だったことが分かります。落選はモネに方向転換を促したと思われ、数か月後にはかなり粗い筆触になり、1872年には斬新なスタイルで「印象、日の出」を描き、後にそれを第1回印象派展で発表したのでした。
なぜ落選したのか、確かなことは分かりません。このような家族の団らんを小画面に描く伝統はありましたが、こんな大画面には歴史や神話などの重厚な主題がふさわしいと当時の人たちが考えていたことが原因かもしれません。
構図は非常によく練られていて、縦長の画面に同心円状の構成です。卓上中央の皿を中心に、卓の外周と着席する母子、その外周に戸棚を閉める使用人と窓辺の女性と2脚の椅子が配され、絵の中を何周も回って味わうことができる仕掛けになっています。
絵の内容は複雑で読み解き甲斐があるものです。まず、手前の椅子の前には食事が用意され、新聞が置いてあることからモネの席と理解できます。子供は父親が来るまでスプーンを握って食べずに待っていますね。この絵の前に立つと、まさにこの場面を描いている画家の位置に立ったような気がしてきます。あるいは、着席する直前のモネを疑似体験しているようでもあります。
実はこの時、モネと子の母親であるカミーユは結婚していませんでした。モネの家族から反対されていたからです。父親や親族からの仕送りは絶え、苦しい生活が続いていたところ、パトロンの助けでやっと一緒に暮らせるようになった頃に描いたのがこの絵だったのです。母親の左手が水差しに隠れて見えないのは、その手に結婚指輪がないことを伏せたかったからでは、とも指摘されています。幸せそうな様子の裏に、不穏さが見え隠れするようで、そうなると奥にいる使用人が室内に向ける視線も、この場面に対して何か含みがあるような気がしてきます。
さらに、窓辺に佇む女性がこの絵に謎めいた印象を加えています。よく見ると母親とそっくりなので、こちらもカミーユがモデルを務めたのでしょう。当時流行していた外出着姿であることから訪問客と分かりますが、彼女と母子の間には視線のやりとりがありません。この家族にとってどういう存在なのか、見る人の想像をかきたてるものがあります。
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「モネ 連作の情景」
大阪中之島美術館にて5月6日まで
https://nakka-art.jp/exhibition-post/monet-2023/