これは「浮かぶヴェルサイユ」と称された豪華客船ノルマンディー号のポスターです。この船はフランスのル・アーブルとアメリカのニューヨークを結んで航行し、全長312メートルと当時の世界最大のサイズで、内装はルネ・ラリックのシャンデリアなど、フランスの工芸芸術の粋を集めたものでした。
作者はA・M・カッサンドル(1901-1968)というフランスのグラフィックデザイナーで、20世紀のポスター芸術家として最も重要な1人です。イヴ・サンローランのロゴをデザインした人、と言った方が現代人には分かりやすいかもしれません。フォントデザイナーとしても活躍し、ペニョー、アシェ、ビフュールといったそれだけで20世紀初頭の雰囲気を醸し出す書体も生み出しました。
本作が作られた1935年は第一次・第二次大戦の合間で、重工業が発達し、鉄道・飛行機・自動車が広まり、機械文明が人々にとって身近になった時代でした。同時に、ポスターという広告媒体も普及し「街頭の芸術」としての道が模索されていたときでもありました。そんな中、カッサンドルは美的にも機能的にも時代の求めに応えた存在だったといえます。
彼のデザインはピカソのキュビズムやその他のモダンアートに影響を受け、幾何学的形状と文字を巧みに組み合わせたものでした。難解なモダンアートを大衆に分かりやすい形で取り入れただけでなく、視認性が高いデザインは走行中の車の中からでも目に留まるもので、広告としての目的にも即していました。
本作のユニークなところは、船を真正面から、しかもかなりアオリ気味で捉えているところ。船を画面いっぱいに配し、左下の鳥の群れとのサイズ比からもその巨大さがひと目で伝わります。左右対称の構図は荘厳な印象を与え、宗教画でもよく用いられるのですが、ここでも船の厳めしい高級感を表すのにぴったり。しかも、単調にならないよう煙を左にたなびかせ、鳥の群れを左に配し、陰影のつけかたに変化をつけるなどして左右非対称の要素を盛り込んでいます。
カッサンドルのデザインの下地には規則的なグリッドや幾何学図形があると指摘されています。本作の場合、船の上部が正五角形に収まっているのが分かるでしょうか。さらに少し下、「NORMANDIE」という文字の基底部を底辺に、船首の突起を頂点として同じく正五角形を成しています。このような規則性を取り入れることは比例の美を生み、審美的にも適っていた上に、印刷用の原版が作りやすく、サイズ変更のための拡大縮小もしやすいという実際的な利点がありました。簡潔で幾何学的なデザインはデザイナーと印刷技術者の分業を可能にし、効率的なポスター生産に繋がったというわけです。
ちなみに、カッサンドルはペンネームで、ギリシャ神話で自国が亡ぶことを予言したものの誰にも信じてもらえなかった悲劇の王女カサンドラにちなんでいます。
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「モダン・タイムス・イン・パリ 1925―機械時代のアートとデザイン」
ポーラ美術館にて5月19日まで
https://www.polamuseum.or.jp/exhibition/