1ページ目から読む
3/4ページ目

 児玉誉士夫はロッキード社の秘密代理人であり、小佐野は児玉の依頼で政界工作を行ったとの疑惑を持たれた。小佐野はこのために事件発覚直後の1976年2月16日に国会で証人喚問を受け、全日空へのトライスター慫慂(しょうよう。しきりに勧めること)や、対潜哨戒機P3Cの売り込みでの児玉への協力、またロサンゼルス空港でロッキード社からの資金20万ドルを受領したことなどについて追及されるも、「いずれも事実無根」と否定する。検察はこれを偽証として議院証言法違反で小佐野を告発した。

最大の焦点は…

 公判で最大の焦点となったのが「ロス空港での20万ドル受領」であり、検察と小佐野の弁護団のあいだで激しい論争が繰り広げられていた。そこへ来て検察は第41回公判において、小佐野がロッキード社からロス空港で受け取った20万ドルは、「K.ハマダ」なる人物がラスベガスのサンズホテルのカジノで大敗したときの借金の一部の返済に使われたという事実を、冒頭陳述の補充という形で暴露したのだ。そこであきらかにされた事の一部始終は次のようなものであった――。

 ハマダは、1972年10月5日から14日(先の文春がスクープした渡米の1年半前)にかけてオサノ一行の渡米ツアーに参加し、ラスベガスのサンズホテルのカジノで5日間にわたってバカラに興じた。

ADVERTISEMENT

 バカラとはトランプを使うギャンブルで、バンカー側とプレイヤー側の双方に2枚ずつ(最大で3枚)カードが配られ、合計数が「9」に近いほうが勝ちとなる。客は勝敗を予想して、「バンカーの勝ち」「プレイヤーの勝ち」「引き分け」の三者択一でチップを賭ける。

4億6000万円の大敗

 オサノは自分の連れてきた客が負けた場合の支払いをホテル側に保証した。その際、ほかの客には上限を設けたのに対し、ハマダについては「無制限保証」とする。結果、最終日にはハマダしか賭けず、ほかの客はまわりで見ているだけとなっていた。すでにハマダは大負けが続き、借金は膨れ上がっており、さすがに見かねたオサノはとうとうホテル側に「150万ドル(当時のレートで約4億6000万円)を限度にしてくれ」と申し入れ、ストップをかけたという。