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晩年の驚くべき告白

 しかし、2011年に刊行した著書『YUIGON』で、驚くべき告白をするにいたる。要約すると、ロッキード社は取引が成立しなかったため、日本側に贈った賄賂を、裏金として回収しなければならなかった。そのために浜田は、田中角栄にロッキード社から丸紅を通じて渡った5億円の領収書の精算を任せられ、ラスベガスのカジノでわざと大負けしたというのだ。

 それ以前から、小佐野が浜田の借金を肩代わりしたことは、当の浜田が《小佐野さんという人は、そんなに気前のいい人ではない、根っからのビジネスマン》(『永田町、あのときの話』)と書くほどだっただけに大きな謎とされ、さまざまな憶測がなされてきた。そのなかには、小佐野とホテル側で裏金を動かす必要が生じたため、浜田がカジノでわざと負け、合法的に巨額の金をつくったのだとする説もあった(『新潮45』2005年12月号)。浜田の告白が事実ならば、裏金を動かす必要があったのはサンズホテルではなく、ロッキード社だったことになるが……。

 もちろん、浜田の言い分を鵜呑みにするわけにはいかない。それでも、このとき83歳になろうとしていた彼が、すでに身体的に著述に困難がともなう状態にありながら、それまでの主張を覆してまでも書き遺したことだけに、まったくのでたらめとも思えない。ひょっとすると、浜田から話を聞いた桜内義雄が口にした「死んでも言えないこと」とは、このことだったのか。

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 なお、浜田は上記の告白に続けて、《蛇足ながら、小佐野も私もギャンブルは基本的にやりません。(中略)もっとも、「お前の人生そのものがギャンブルだろう」と言われてしまったら、グウの音も出ませんが》と付け加えている。浜田が亡くなったのは、『YUIGON』刊行の1年後、2012年8月5日のことであった。

【主な参考文献】
◆「『反田中・青嵐会』の浜田幸一代議士が4月27日 例の小佐野賢治氏とアメリカ大旅行 なぜ?」(『週刊文春』1974年7月1日号)
◆浜田幸一『弾丸なき抗争 権謀術数に生きる男の戦い』(KKベストセラーズ、1983年)、『永田町、あのときの話 ハマコーの直情と涙の政界史』(講談社、1994年)、『YUIGON もはや最期だ。すべてを明かそう。』(ポプラ社、2011年)
◆立花隆『闇将軍 田中角栄の策謀 ロッキード裁判傍聴記2』(朝日新聞社、1983年)
◆毎日新聞社編『総理の犯罪 田中角栄・敗北の構図』(毎日新聞社、1983年)
◆上條昌史「浜田幸一代議士のラスベガス賭博・巨額借金」(『新潮45』2005年12月号)
 そのほか、事件当時の新聞・雑誌記事を参照しました