佐藤 イスラエルの建前としては、「ガザのパレスチナ一般住民」は保護の対象です。だから、一軒一軒しらみつぶしに「ハマス」と「その協力者」を掃討しながら「一般住民」を保護していくしかない。これには少なくとも数カ月はかかる。
厄介なのは、民主的選挙でガザの自治政府を握るハマス関係者が、おおざっぱに言えば、「2割が戦闘員(約3万人)で残り8割は一般人」であることです。公務員、教師、医師、看護師のなかに多くのハマス関係者がいる。彼らをどう扱うか。ハマスから離脱してイスラエルに敵対しないならば見逃しますが、ハマスへの協力を続けるならば、非戦闘員でも容赦なく殺さざるを得ない。
ここで参考にすべきなのが、ユダヤ人哲学者アーレントが書いた『エルサレムのアイヒマン』です。
池上 アイヒマンとは、ナチスの秘密警察ゲシュタポのユダヤ人輸送局長官ですね。
佐藤 裁判でアイヒマンは「ユダヤ人殺害に私は直接手を下していない。任務に忠実な役人として収容所にユダヤ人を送る列車のダイヤグラムを書いただけだ」と釈明します。
アーレント理論の適用
池上 アイヒマンは、戦後、アルゼンチンに逃亡していたのをモサドが発見してイスラエルに連行。ユダヤ人虐殺の張本人として裁判にかけましたが、罪の自覚がないその姿に、「ひどい言い逃れだ! 彼こそ悪の中心だ!」と、イスラエル検察もイスラエル国民も激しく憤ります。
佐藤 ところがアーレントだけは、「確かにアイヒマンの言っている通りだ」と主張します。「検事のあらゆる努力にもかかわらず、この男が〈怪物〉でないことは明らかだ」「もっと困ったことに、アイヒマンは正気ではないユダヤ人憎悪や狂信的反ユダヤ主義の持ち主でもなかった」と。
池上 それがアーレントの言う「悪の凡庸さ」ですね。
佐藤 その上でアーレントはアイヒマンにこう反論します。「ユダヤ人であるという理由だけで私たちを地上から抹消する、というシステムにあなたは加わった。積極的に行動したか命令に服従したかは本質的違いではない。私たちにはそういうあなたと一緒に地上にいたくないと言う権利がある。これが、あなたを死刑に追いやる唯一の理由だ」と。
この議論は、当時、ほぼ理解されず、『エルサレムのアイヒマン』もつい最近までヘブライ語に訳されていなかった。しかし、当時受け入れられなかった論理が、現在、ハマスに適用されています。「公務員や教師や医師や看護師たちは、確かにハマスの戦闘活動に直接従事してはいない。しかし、システムの一員としてハマスを支えている」と。ハマス掃討作戦は、アーレント理論の適用でもある。
池上 そこが佐藤さんとスタンスが少し異なる点かもしれません。アーレントの理論を適用されるのは、ガザ住民にはかなり酷だと思うんです。たとえば、イスラエルのスパイだと疑われたパレスチナ人が処刑されたり、ハマスに協力しないことで殺されたりするような「恐怖支配」が敷かれている。そんななかで結果的に何も言えずに「お前は黙ってハマスに従った」と糾弾されても、「従わざるを得なかった」と答えるしかない人はかなりいるはず。
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本記事の全文は、『文藝春秋 電子版』に掲載されています(池上彰×佐藤優「ハマスとイスラエル 悪魔はどっちだ」)。
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