どんな理由があるにせよ、こんなことが許されるはずはない。そう思った上田さんは後日、施設の本社と県に通報の電話を入れた。いつ、誰が、何をしたか丁寧に伝えたが、本社や県の職員から、証拠はあるのかと問われ、何も答えられなかったという。その瞬間を録画していたわけでもなかった。結局、県から情報提供を受けた市が施設へ聞き取り調査を行ったが、この施設には何のお咎めもなかった。それどころか、施設は通報した上田さんを事実上の“クビ”にしたという。
「私は見たままを伝えましたが、その後、市がどういう調査をしたのかはわかりません。恐らく、この施設では虐待はなかったという結論になったのでしょう。私は派遣だし、『辞めてくれ』と言われても全然平気。そんな職場に何の未練もありませんよ。また別の施設に転職すればいいだけですから」(上田さん)
彼女の証言は、介護施設内での虐待が見過ごされやすく、実効性のある監視体制が整っていない現実を示している。
高齢者への虐待は過去最多に
2022年12月、厚労省は高齢者に対する虐待の状況をまとめた調査結果(令和3年度)を公表している。その結果によると、2021年度、介護老人福祉施設などの介護従事者による高齢者への虐待の相談・通報は2390件もあった。その中で実際に行政から虐待と判断されたケースは739件にものぼり、前年度と比較して24.2%も増え、過去最多となった。
この厚労省の公表結果を受けて、当時の毎日新聞(2023年12月26日)は、虐待が増えた背景について介護事業所職員の「新型コロナウイルスへの感染防止対応などによるストレスの可能性」などと報じていた。
だが、本当にそうだろうか。虐待と無縁の心ある介護職員にも、コロナのストレスくらいはあるだろう。私が取材をした介護職員は、「それならコロナが収束しつつある今、虐待が減ったかといえば、そんなことはないはずだ」と話し、こう続けた。
「表沙汰にならないケースも含めれば、コロナに関係なく、今も昔も多くの虐待が行われています。年々、虐待の相談や通報の件数が増えているのは、メディアの報道などにより、介護職員や利用者の家族の意識が変わってきたからでしょう。虐待に対する監視の目が厳しくなり、表面化するケースが増えたのだと思います。一方で、表沙汰にならない虐待も、まだ数多く存在しています。施設の中だけで処理してしまったり、介護士同士で見て見ぬふりをすることも多々ある。誰も見ていない場所で認知症の方に暴力行為を働く介護職員だっているでしょう。介護施設や職員による虐待隠しは、今後もなくならないと思います」