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前駐豪大使「これは私の遺言です」古巣・外務省を批判する理由

2024/05/13

source : ノンフィクション出版

genre : ニュース, 国際, 政治, 読書

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 任期中に親交を紡いできたトニーいわく、「時計には特別なメッセージを彫り込んでおいた」とのこと。スティールのバンドに彫り込まれた小さな文字を読んで、度肝を抜かれた。

「3人の首相から日本の最も偉大な大使への贈り物。貴使の勇気と知的リーダーシップに感謝しつつ」

 これ以上の名誉はないと感じた。

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 何よりも、豪州の地にあって、志を分かち合い、同じ方向を向いて一緒に汗をかいてくれた日本大使館の日本人、豪州人職員一丸となった努力が報われた瞬間でもあった。「チーム・ジャパン」への勲章そのものだった。

 今振り返って、キャンベラに赴任した当時の本音を言えば、在外公館勤務に出ることが左遷であるかの如き外務省内の風潮、特に本省幹部の受け止め方に警鐘を鳴らしたいとの反発心が私を駆り立てていた。実際、本省幹部よりも主要国大使の方が自分で決められることは遥かに多く、その意味合いも大きい。日本国の代表としての責任も重い。何よりも、自分の努力、創意工夫次第で打ち出せる「違い」が大きいのだ。そうした「違い」を、在外勤務を敬遠する本省関係者に伝え、思い知らせたいという意地がなかったと言えば噓になる。

山上信吾氏 ©文藝春秋

外務事務次官との一時間の議論

 だが、帰国した私を待っていたのは、「本当に良くやった」、「傑出した仕事ぶりだった」、「他の大使も同じように頑張れば日本の外交力は強化されるのに」という国会議員、外務省OB、民間企業幹部、メディア関係者らからの過分な賛辞と心温まる慰労の声だけではなかった。

 2023年8月1日。次官室に呼び込まれた私は、離任間際の外務事務次官・森健良と一時間近く議論することになった。

「君の豪州での対外的パフォーマンスは素晴らしい。自分であれば、あそこまではとてもできなかっただろう」と一応は褒めながらも、険しい表情で口調を強めてこう続けた。

「でも、次の大使ポストはオファーできない。来年5月までの待命期間中に次の人生を考え準備してほしい」

 豪州の元首相たち、元駐日大使たちから寄せられてきた評価と、外務省幹部による評価とのあまりの落差は一体どこから来るのだろうか?

 湧き起こる疑問を飲み込んで森と議論を重ねるにつれ、今の外務省を巡る深刻な問題、特に、職員の士気が著しく低下し、練度が落ちているとの現状認識について互いの間に殆ど相違がないことはわかった。大きな相違は、そうした事態への対処法にあった。

 組織が劣化しているからこそ、上司が率先して仕事に励み、若手や後輩に対して身をもって仕事のやり甲斐や使命感を示していく、その過程で、時には厳しく部下を指導することも必要と考える私に対し、離職者、病欠者を引き留めるための「融和」を何よりも重んじ、頑張ったとて、指導したところで仕方がない、事務の合理化、省力化こそが優先事項だと考える森。その溝は深く越えがたいものだった。

「君はやりすぎる」

 そして、こう言われた。

「君はやりすぎるから、部下がついてこられない」

「仕事をしすぎる」「飛ばしすぎる」と言いたかったようである。

 森との国家観、外交観、歴史観の違いを吟味するにつれ、どうやら「中国に厳しすぎる」「対外発信に熱心すぎる」という意味も籠もっていたように聞こえた。

 冷徹に国益を追求する匠のプロ集団であることを外務省はいつから止めたのだろうか?

 耳を疑い、暗澹たる思いに包まれた。そして、組織の事務方トップが真顔でこのように教え諭そうとしていたこと自体、論ずるに値しないと思った。

 さらに、私の質問に答えて自身の去就を説明した次官本人が次のように述べたことには、少なからず驚いた。