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「在外勤務をオファーされたが、家庭の事情で断った。私は退官する」

 事務方の最高責任者として、多くの先輩、同僚、後輩を本人の意向にかかわらず様々な任地に派遣してきた人物が、自身は「家庭の事情」で在外勤務を忌避すると言うのだ。

「家庭の事情」を言い出すのであれば、誰しもが親の介護、配偶者のキャリア、子供の教育などの難題に直面しつつも公務を優先し、多大な負担と犠牲を強いられながら海外勤務を重ねてきている実態がある。アフリカや中近東の途上国や戦禍が絶えない任地での勤務であれば、尚更だ。であるのに、そのような人事を組み立て、次から次へと部下に辞令を申し渡してきた当の本人が、外交官人生の集大成であるはずの大使ポストを一度でさえ担おうという姿勢すら見せることなく、あっけらかんと「もう辞める」と言って憚らないのだ。

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 返す言葉など私には見つからなかった。

 実は、このやりとりの直前に同人は、病弱な夫人を抱えていたために医療事情の悪い在外任地の変更を願い出た後輩大使に対して、自身の右腕であった官房長を通じ、「任官拒否だ」との痛罵を浴びせていた。であれば、自分の振る舞いこそが「任官拒否」ということになる。そして、前任地で任国の首相経験者3名から「日本の最も偉大な大使」と言われるまでに働いた後輩大使に対しては、真摯なねぎらいの言葉をかけることすらなく、ひたすらに退官を迫っていた。

 その上で唐突に森は、にやけながら「俺も特命全権大使をやりたかったよ」などと、つぶやいた。冗談とも皮肉とも判然としなかった。

 この時の同人の顔を見て、私は敢えてこの本を書くことを決意した。

 というのも、このようなやりとりこそ、今の外務省が直面する深刻な劣化を象徴していると痛感したからだ。

外務省 撮影・杉山拓也(文藝春秋)

外務省への失望感と無力感

 この森との対談までの6年間。私は、本省で国際情報統括官(旧称は国際情報局長)、経済局長という2つの局長ポストを務め、豪州という日本外交にとって重要度が増しつつある国で大使として仕事をする過程で、外務省が組織として、そして一人一人の省員が外交官として驚くほど劣化している実態を目の当たりにしてきた。

「自分が青雲の志を抱いて門を叩いた組織は、こんなはずではなかった」との思いにとらわれたことが何度もあった。日本外交を担う一員として貢献しようと思って入った組織だけに、失望感と無力感に苛さいなまれてきた。そうした積み重ねがあっただけに、次官とのやりとりで絶望が極まった。

 一方で、あきらめることだけはしたくなかった。これまで「外務省なんて、所詮そんなもの。冷たい組織だよ。何を言おうが変わらないし、変わるわけもない」と何人もの先輩が諦念に達する姿に接してきていた。そして、「組織に恥をかかせたくない」「後輩に迷惑をかけたくない」と称し、ダンマリを決め込んで去っていった。時折、組織に公然と弓を引く者も現れたが、大抵は私憤に基づくものとして切り捨てられ、重きを置かれてこなかった。

 しかしながら、外務省は社会の公器だ。この激動の時代に日本の国益に直結する外交の担い手である。そして、言うまでもなく、納税者の税金で支えられている。次官以下、急速に進んでいる士気の低下、組織としての機能不全、それらがもたらす外交の劣化を黙って見過ごして良いのだろうか。