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 事実、母子三人(彼には弟がいた)、暮らしに困らず、誕生日やクリスマスなどには、ニコニコしながらプレゼントを抱えて帰ってくるか、そうでなければ、どこからか小包で送られて来たそうである。

 さらに驚くべきは、彼の母親、つまり艶福家の妻が、まるで夫を責めなかったというのだ。それどころか、「愛人」の何人かとは、付き合いがあったらしい。

 しかし、子どもにとっては、黙っていられる話ではない。幼稚園以来、一度も参観日や運動会に来たことはなく、担任の教師の多くは、一家が母子家庭だと思っていたらしい。

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 思春期になってからは、何度もキレて、父親を怒鳴ったり、殴りかかったりしたそうだが、相手は完全な無抵抗主義で、常に母親が泣きながら間に割って入り、身を挺して止めたという。

「母さんは、なんであんな馬鹿親父をかばうんだ! ひどいと思わないの!?」

「お母さんは、いいの。お父さんは悪い人じゃないの」

 何度目かの大衝突の後、彼はついに諦めて、それなりの人生を歩み、上京して大学に入り、卒業して、とある会社に就職した。

不倫相手が複数いた父をどう懲らしめるか?

 するとある日、母親から、父親が急死したという知らせが来た。それも、あろうことか、「愛人」宅で死んだのだという。

「参りましたよ。私、その家に遺体の引き取りに行ったんです」

「そりゃあ、なかなか……」

 こうなっては仕方がない。彼は喪主を務め、後の始末をつけ、母親は、この期に及んでも、

「ああ、よかった、安心した。これでお父さんも大丈夫。○○ちゃん(彼の愛称)、ありがとうね」

恐山菩提寺でたたずむ筆者 ©新潮社

 収まらないのは、彼である。しばらく忘れていた父親への怒りが、再び腹の底から沸いて来た。無理からぬところである。

「でもね、どうしようもないんですよ、死んじまったから」

「そりゃそうですなあ」

「で、ね、私、ある日急に思いついたんです。そうだ、青森の恐山にはイタコがいると聞いたことがある。一度、親父を呼んでもらって、とっちめてやろう」

「えーっ!?」