ぼっち村』1〜3巻、『ぼっちぼち村Ⅰ』(ともに扶桑社)、『ぼっちぼち村Ⅱ』(農文協)で、田舎暮らしの日々を描いた“地方移住漫画家”の市橋俊介さん(49)。極寒の自然や慣れない農業、そんな環境で経験した第一子の出産、指定難病「もやもや病」の発覚……。漫画の中で赤裸々に描いた自身の人生を、「行き当たりばったり」と語る市橋さんに話を聞いた。(全2回の後編/はじめから読む)

地方移住を5回繰り返した漫画家の市橋俊介さん(本人提供)

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行き当たりばったりなスタートだった

――移住や農業など、行動力がすごい市橋さんですが、ご自身としては、その性格をどう捉えていますか。

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市橋さん(以下、市橋) 行動力と言えば聞こえはいいですが、行き当たりばったりと言うか、正直何も考えてないというのが正しいですね。自分のそんな性格は、やっぱり後悔ばかり生んできたので、全然良くないと思います。

 実際は出不精で、どちらかというと引きこりタイプ。なので、半ばやけくそになっているだけです! そもそも、漫画家になったのも行き当たりばったりなスタートでした。

市橋さんの著書『漫画家失格』(双葉社)

――『漫画家失格』(双葉社)では、市橋さんが漫画家になる経緯も描かれていますが、たしかに行き当たりばったりです(笑)。美大も“ノリ”で受験したそうですね。

市橋 美大を受けたのは、「実家から近かったから」という理由でした。絵を描くのが好きというわけでもなかったんです。実際、絵の実技試験でも小学校時代に使っていた絵の具セットを持っていきましたし。でも、なぜか奇跡的に受かってしまったんですよね。

――とはいえ、美大に進んでから絵に目覚め、漫画家を志すように……。

市橋 それが、なってないです(笑)。本当に絵は苦手だったので、「英語の課題をやる代わりに絵の課題をやってくれ」と級友に頼むほどでした。ロクに絵の勉強もせず、ひたすら音楽を聴いていましたね。

 卒業後はデザイン会社に就職しましたが、やはり絵もデザインも勉強していない自分には向いていなさすぎて、すぐにやめました。そこからはレンタルビデオ店でバイトしながら映画をみたり、音楽を聴いたり……。毎日ダラダラ、ゴロゴロしていました。

――漫画家とは無縁の人生を送っているなかで、漫画を描くきっかけはなんだったのでしょうか。