1ページ目から読む
3/4ページ目

役が決まって「え、どうしよう」

――藤というキャラクターはそうして作られていったんですね。藤の役はどのようにして決まったのでしょうか。

穂志 オーディションです。でもプロデューサーや監督はアメリカとかにいるので、ビデオを撮って送る形でした。当時の所属事務所の方やいろいろな人に協力していただいて、iPhoneで撮ったものを送りましたね。第1話の赤ちゃんを抱えて自害しようとしているシーンなど、台本にあるいくつかのシーンを演じて撮ったものを送って。私の場合は、その数本のビデオを送って「合格です」というお返事をいただきました。

 オーディションを受けた時は、しっかりした作品であることは分かっていましたけれど、こんなに大作だとは知らなくて。それに受かるかもわからなかったので、覚悟をしてオーディションに臨んだというわけではなかったんです。受かってからの方が「え、どうしよう」という感じでした。

ADVERTISEMENT

©杉山拓也/文藝春秋

――「SHOGUN 将軍」は全体の撮影期間が10カ月と聞きました。そのうち穂志さんは8カ月も撮影のためにバンクーバーに滞在していたんですよね。

穂志 そうですね。2021年の9月から8カ月、撮影のためにバンクーバーに滞在していました。行くと決まった時は「こんなにスケジュールに穴をあけて大丈夫かな」という気持ちもありましたし、そもそも私は日本を離れて生活したことが一度もなく、共演者の中に親交のある俳優もいなかったので、めちゃくちゃ不安でした。

 カナダに行くときは、自分の中で覚悟を決めて行ったので。日本に帰ると気持ちが緩んだり切れたりしちゃうかもと思って、8カ月のあいだは一度も帰国しませんでした。

とにかく丁寧に進む現場だった

――初めての海外の現場でカルチャーショックのようなものはありましたか。

穂志 ショックのようなものはそこまでなかったですね。とても丁寧にドラマを作れる、恵まれた環境だったと思います。現場で疑問が生じてしまった時も、監督やプロデューサーのジャスティン・マークスや、真田さんも交えて納得するまで話すことができました。私だけでなく、たくさんの俳優がよくディスカッションをしていました。

――どのようなディスカッションを現場でしていたのでしょうか。

穂志 セットや小道具が想定していたものと少し違ったときや、エキストラさんや私たちの動線をどうするかについてなども皆で意見を出し合った記憶があります。監督のオーダーと自分たちの用意してきた役の解釈などが合わない時にもディスカッションをしましたね。それこそ「日本人はそういうことはしないと思う」みたいなことをオーダーされることもあったので、そういう時に擦り合わせをして、全員が納得するまで話していました。とにかく丁寧に進む現場でしたね。