「その2年前まで月給13、4万円で、私は働いていたのだ。それが30分で…」

 若かりし頃、受け取った「お布施」の額を今も忘れられない恐山菩提寺で住職代理を務める南直哉さん。それから南さんが「タダで何かをやる」ことを大切にするようになった理由とは? 最新刊『苦しくて切ないすべての人たちへ』(新潮社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

今も忘れられない、お布施の記憶とは―― ©新潮社

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お布施はこわい

 修行僧になって最初の2年、私は全く永平寺の外に出なかった。

「お前みたいに我儘なヤツは、まずは僧堂でガンガン削られなきゃダメだ。3年と言いたいところだが、まず2年は一切外に出るな」

 入門にあたって、師匠が言った指示を守ったのである。

 何とか2年をもちこたえると、師匠から電話がかかってきた。

「これで、2年か。まあ、よし、一度帰って来い」

 私は、ようやく師匠と永平寺に許可されて、2年ぶりに「シャバ」の空気を吸ったのである。

 師匠の寺に戻って3日目、朝の掃除をしていると、師匠がやって来て唐突に言った。

「俺はこれから出かけるが、11時に法事がある。代わりにお前が行け。檀家には話してある」

「えっ! 僕ですか!?」

「他にいるか?」

「でも、修行して、まだ2年ですよ」

「じゃ、出かけるから、ちゃんと経本を見て読経しろよ」

「で、でも……」

 師匠はもう聞いていなかった。

 11時前に迎えの車が来た。

「お迎えに来ました。お弟子さんに来ていただけるそうで……」

 玄関に出てみると、丁重な言葉使いの70代かと見える人は、紋付きの羽織袴を着けていた。後日聞くと、この時の施主家は、旅館を営む、かなり有力な檀家だったのである。私は通常、ほとんど緊張することのないタチなのだが、この時ばかりは、口の中が乾いた。

 家に着くと、一家がほぼ総出で迎えてくれた。幼児以外は全員和服姿の合唱で、

「今日は何卒よろしくお願い致します」