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 迎えに来た主人に導かれて大きな仏間に行くと、50人近くがすでに仏壇前に整列して坐っている。実は、これ以来今に至るまで、葬式ではない、個人の家の法事で、これほどの規模のものに出たことがない。

「あの住職の弟子って、どの程度のモンだ?」的な、100本(50人×2)近い視線を背後から浴びつつ、私は必死の読経をした。それまで永平寺の法要係として、大掛かりな本山法要の経験は積んでいたものの、要は一兵卒の立場に過ぎない。

 ところが、この日は50人の主役で、かつデビュー戦である。しかも居並ぶ長老級の親戚縁者は、これまで様々な坊さんを見てきたに違いない。その肥えた「選僧眼」の前なのだ。

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 最後は息も絶え絶えに読経を終え、師匠に必ずしろと厳命された、挨拶を兼ねた短い法話をした。何を話したかは、全く覚えていない。

「な~に言ってるの、あの住職の弟子が飲めないわけがない」

 お勤めをすべて終えると、主人は正座して両手をつき、何食わぬ顔で(気圧されている者には、そう見えるのだ)、

「和尚さん、ご丁重な読経をいただき、誠にありがとうございました」

 ヤクザ映画で見たような、堂々たる言上であった。

 それから直ちに、かねて準備の御膳が運ばれてきて、忽ちのうちに御斎になった。実は、ここからが問題だったのである。

「いやあ、ありがとうございました。緊張したでしょ。顔、青かったよ」などと言いながら、始まりの挨拶を施主がした直後から、お参りの人たちが次から次へと、酒のお酌に来るのである。

「もう、今日、仕事ないでしょ。ほら、ぐっと、ぐっと」

「いや、僕、そんなに飲めないんで……」

 これは本当である。私は完全な下戸ではないが、非常にアルコールに弱い。ビール一杯で顔が赤くなってしまう。

「な~に言ってるの、あの住職の弟子が飲めないわけがない」

 私はこの時初めて、容易ならざる事態に立ち至ったことを悟った。飲めないと言っても、誰も信じないのである。師匠は話していないのか!!

 開始後10分も経たないうちに、私は明らかに危険な状態になった。避難しないとヤバい。

「すみません、ちょっとトイレに……」

 話によると、自分で立って、歩いてトイレに行った、らしい。が、その後の記憶がまるで無い。

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