何度も暗殺の危機に見舞われながらもインド仏教復興のために尽力し、いまや1億5000万人ものインド仏教徒の頂点に立つ日本出身の僧侶、佐々井秀嶺氏(88歳)。佐々井氏の元には悩みを抱えた日本の中年男性がたびたび訪れるという。「道が見えない」という彼らに佐々井氏はどのようなアドバイスを送っているのだろうか。コロナ禍を経て4年ぶりの一時帰国を果たした佐々井氏に、日本という国の印象、日本人の問題点を聞いた。(全2回の1回目/後編を読む)

4年ぶりの来日を果たした佐々井秀嶺さん。四谷真成院にて

コロナ禍では1日6000食の弁当を困窮者に配った

――以前は毎年、帰国されていましたが、今回は4年ぶりですね。コロナ禍には連日、インド仏教徒のお坊さんや信者さんと貧しい人々のために数千食もの炊き出しを行っていたと聞きました。

佐々井 日本ではコロナに感染して亡くなった人はいても、餓死者は出なかっただろう? でもインドでは感染者だけじゃなくて餓死した者も多かったんだ。貧しい人々は地方の村から大都市に出稼ぎに出ている。しかし、コロナで工場や店が閉まり、金も入らないし食べるものにも困ってな。帰省しようとしても自家用車もないし、公共の電車やバスが止まっている。それで民族大移動のように故郷を目指して人々が歩き出したんだ。中には700キロも歩いて帰るという人もいた。

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――大変な状況だったんですね。

佐々井 ところが歩いている途中で食べ物がなくなり、路上でうずくまっていたり、すでに死んでいる者もいた。うちの寺が経営する学校があるんだが、そこに坊さんと信者が何百人も集まって、皆で弁当を作った。米を洗う人、炊く人、野菜を切る人……インド仏教で大事にされているのは「行動すること」なんだ。「助けてくれ」と祈ってばかりいたって状況が良くなるわけじゃない。

 そんな彼らは元々、不可触民といって奴隷カーストにすら入れないアウトカースト出身の人々だ。自分たちの家だって貧しいんだ。それでも人が困っていれば慈愛の心が湧くだろう。自分の家から貴重な油や米や野菜をかき集めてくれてな。何か月間も毎日3000食、多い時は6000食くらい用意したんだよ。

――6000食もですか!?

佐々井 ああ。昼に3000、夜に3000。それでも足りないくらいだ。路上を歩いているのも、弁当を作っているのもどちらも下層民衆ばかり。俺は宗教問わず座り込んでいる人を見つけては「これを食べて元気を出せ」と、車を停めて弁当を配って歩いた。