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佐々井 しかし、俺はいつも期待を裏切ってしまう。おばあさんからもらった本代で酒を買うし、期待して送り出してもらったタイでは美人の尼さんとキャリアウーマンとの三角関係になってピストルを突き付けられてインドに逃げたんだ。

 さすがの俺もインドで真面目に修行して、1年経ったら、恩のある高尾山に帰って和尚さんに懸命に尽くそうと思っていた。だが、もう少しで帰国という晩に、龍樹菩薩(2世紀ごろの人物)が忽然と現れて、俺に「南天竜宮城(ナグプール)へ行け」と告げたんだよ。

 龍樹菩薩は日本の八宗の祖師だ。大乗仏教の大成者だ。その菩薩に言われたら断れない。俺は何をするべきか、ナグプールがどんな街かも知らず、着の身着のままやって来た。インドの辛いカレーも苦手で、こんな暑い国になんて本当はいたくなかったんだ。だけど差別され、苦しむ人々を見捨ててとても日本へ帰れなくなった。これが仏さんの与えた使命なら全うしなければならないと、何度、命を狙われようとも踏ん張った。

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――佐々井さんを真人間に変えたのは、使命ができたからなんですね。

佐々井 そうだ。誰にだって使命はある。俺のところに来る「道が見えない」という若者にも必ずある。今、思い返せば、青年時代の苦しみは仏さんが俺に試練を与えていたんだと思う。どん底に落とし、苦難を乗り越えられる力をつけさせたのかもしれん。

 人生は曼荼羅だ。すべてのことがつながっているんだ。俺は仏さんの手のひらの上を歩いてきたような気がする。

ナグプールの大改宗式にて。年に1度、100万人が集う(写真提供:白石あづさ)

国を愛する心を忘れている

――いまを生きる我々はこれから何を大事にして生きていけばいいでしょうか?

佐々井 もっと国を愛する心を持つことが必要だと思う。今、それがないんだ、我が祖国には。国が傾けば、若者は海外に逃げようとするし、男は女を愛することばかり考えて、女も男を愛することばかり。まあ、それを考えるのも悪くないんだけど、愛国心を持てば、責任がある行動が自然に備わってくると思うんだ。

――愛国? 戦中や街宣車と結びついてしまうようで、普段、口にすることはありません。

佐々井 こら、「愛国」とは漢字でそのままの意味だよ。国を愛するというのは、自分の家族を愛することと同じことだ。どこかの国と喧嘩するということではなくて、一人一人が自分の生まれた国を愛して、いい社会をつくろうということなんだ。それが本当の愛国なのに、そういう精神を若い青少年に教える人がいないんだな。