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「よく喋る人だなー」やたらうるさい人が明石家さんまだった

ーー結局、ハンバーグは。

内山 終わってから、無事に食べさせてもらえました。で、1週間くらい経ってから事務所に「受かりました」と連絡が来て、その次の週に「河田町のフジテレビに来てください」ってことで収録が始まった、みたいな。収録なんてのも僕にはなんだかわからなかったけど、それが狙いの番組でしたから。さんまさんと子供のやりとり、ピュアなリアクションを追いかけるっていうね。

 7歳だったから、さんまさんの凄さなんて何にも理解できてませんでした。オーディションの時も大人が5人並んでて、真ん中に座ってる人がやたらうるさいんですよ。「よく喋る人だなー。誰だろ?」と思ってたら、それがさんまさんだったという。

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さんま大先生に婚約を報告 本人インスタグラムより

ーー他の子も「業界に染まってない子供」ばかりで年齢も近いとなると、感覚としては学校の延長みたいなものだったのでは。

内山 そういう感じですね。同い年ぐらいの子が多くて、年上でも3つ上とか。で、収録がスタートしたのが小学1年生の9月。もうひとつの学校というか学童クラブといった感じだから、だんだん楽しくなってきたけど、行きたくないなって日も正直ありましたね。

  収録が日曜だったんですよ。学校の子たちは遊んでるのに、僕だけお父さんに河田町へ連れて行かれるのを不満に思うことが時々ありましたね。

ーー出演して、すぐにブレイクを?

内山 いや、始まって2年はそんなでもなくて、小3か小4になってからですね。

©松本輝一 /文藝春秋

ーーとはいえ、学校では出演早々に騒がれていたのでは。

内山 地元や学校では「すごいじゃん」みたいになってましたね。『あっぱれ』でさんまさんと一緒に出てるだけでも凄いのに、そのおかげで『夢がMORI MORI』に出てSMAPと共演できちゃったりするわけだから、そりゃ学校じゃ大騒ぎですよね。

  他の子役の話で、学校でいじめられてたとかよく聞くじゃないですか。でも僕はそういう経験がまったくなくて、みんながちやほやしてくれたんですよね。

ーー友達から「さんまのサインもらってきてよ」とか、面倒なお願いをされませんでしたか。

内山 それが、意外と僕は喜んでもらってくるタイプで。さんまさんにサインを頼んでは、ちょっと気になる女の子にあげたりして。あと、高学年、中学あたりになると怖い系の人が出てくるじゃないですか。さすがに番長なんていなかったけど、そういう感じの人たちにサインを持っていって、目を付けられないようにしたりね。ちやほやされていたのもあったけど、そういった世渡り上手的なところもありましたね。

  あと、さんまさんがサインを断らないタイプなんですよ。どんどん書いてくれちゃうから、お父さんも収録のたびにめちゃくちゃサインを頼んでは、近所の人に配ってました(笑)。

©松本輝一 /文藝春秋

ーーさんまさんは、非常にフランクに接してくれたんですね。

内山 年末年始になると、みんなで青森とか北海道の小学校を訪ねる「分校シリーズ」っていう企画をやってたんですよ。飛行機に乗って移動するんですけど、さんまさんも僕らと一緒にエコノミーの席で。後ろにお父さんやお母さんがいて、前の方に子供たち、その真ん中にさんまさんが座ってるって感じで。宿も僕らと同じところで、お風呂もみんなと大浴場に入ってました。いつもそんな感じだったおかげで僕らも楽しくやれたし、そこをわかったうえでの接し方だったんでしょうね。だから、そこまで偉い人だとは思ってなかった気がします。「さんまさんって、すごいんだなあ」って感じるようになったのは、小学校の高学年あたりで。