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ーー内山さんをはじめ、子供たちの味を引き出すのも巧みでした。

内山 それも、大人になって番組とかで子供と絡んだときに思いました。いかに、さんまさんが凄かったのかと。その子のどういうところが良くて、どういうところを引き出せばいいのかってのを瞬時に判断しちゃうんですよ。それは大人になっても、大人同士でも大変なことですからね。しかも1対1でも大変なのに、『あっぱれ』なんて1対16とかですから。完全に16人それぞれの個性や特性をパパッと見抜いて、普通の子だったのにタレントに育てていっちゃうんですもん。

©松本輝一 /文藝春秋

  ほんと、なんにもわかんなかった子たちが、さんまさんからのアイコンタクトをキャッチできるまでになっちゃう。ポジショニングなんかも、さんまさんのおかげで覚えました。あるお題が出たら、「一番最初に行くのはお前。わかってるよな」っていうのをさんまさんの目を見て判断して、「次は繋ぎでこの辺に来て、オチはこっちに来るだろうな」っていうのをみんな考える。そういう意味での学校にもなってたんですよね。しかも自然な形で。

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「ロケが終わったら、両手に団子、ポケットの中に札束みたいな」

ーーそのおかげで、内山さんはブレイクするわけですよね。

内山 小4あたりで有名になって、ガーンと売れましたけどね。でも、僕の芸能人生ってそこがピークで、後は徐々に下がっていきましたから(笑)。

『あっぱれ』で街頭インタビューみたいのをやってて、巣鴨のとげぬき地蔵尊でロケしたんですよ。そうしたら、おばあちゃんが次々と寄ってきて「これで好きなもの買いなさい」ってお金を渡してくれるんですよ。お金だけじゃなくて、団子なんかも持たされて。ロケが終わったら、両手に団子、ポケットの中に札束みたいな。

©松本輝一 /文藝春秋

ーー内山さんって宝船に乗っていそうな雰囲気もありますよね。うっかり、手を合わせたくなるといいますか。

内山 街頭ロケに出ると、いつもそんな感じでしたね。実際、何度か拝まれたことがあったし。「日本の孫」みたいな扱いをしてくれて、どこに行ってもお金をもらえましたね。このルックスやキャラクターが良かったのかなとは思います。

  また、テレビ局に出入りしている子供の役得みたいなものがあって。正月になっていろんな局に行くと、プロデューサーさんや芸人さんがお年玉をくれるんですよ。バブルな時代だったので、毎年100万円くらいはもらってましたね。

ーーイベントでソフトクリームを舐めて、ギャラ50万円なんて仕事もあったと。

内山 そうそう。「内山くんとソフトクリームを食べよう」みたいなイベントで。小4なんて、気の利いたことなんか喋れないじゃないですか。だから特設会場みたいなとこに出ていって、お客さんに挨拶して、ソフトクリームをペロンと舐めるという、それだけ。それで1ステージ50万円ですから。時代がバブルだったのもあって、全員がどうかしてましたね。

9歳の頃の内山さん。この少年が月収3000万円を稼いでいたことになる

ーー小4で最高月収が3000万円だったそうですけど、それも頷けますね。

内山 ブレイク時は、新宿のエキストラ事務所から違う事務所に移っていたんですけど、当時って給料が現金受け渡し制だったんですよ。自分で1000万円単位の受領書のサインを書いて、確定申告も一応やってました。

 小4でそんなですからね。周りの大人もちやほやしてくれるし、感覚がおかしくなっていくんです。はっきり言って、嫌な子供だったと思いますね。