ソニーの創業者である盛田昭夫氏の会社論・第3弾。
(第1弾「新・サラリーマンのすすめ」、第2弾「働かない重役追放論」も公開中です)
近年話題の“ホワイト企業”の必須条件、福利厚生に対する意見を53年前に述べていました。「日本の会社は社会保障団体だ」「学歴は無視せよ」と話す盛田氏が、日本企業へ提言することとは?
出典:文藝春秋 1965年11月号「会社は遊園地ではない」
楽しさへの疑問
サラリーマンに、いきなり「あなたの夢はなんですか。それも、比較的手のとどきやすい、実現の可能性のある夢は?」とたずねてみたらどうであろう。私の想像するところ、たぶん、たいていの人が「楽しい家庭、楽しい職場を持つこと」と答えるのではなかろうか。
楽しい家庭、楽しい職場――たいへん結構である。私としても、そう異存のあることではない。「楽しい家庭」についてはともかく「楽しい職場」ということは、多くの会社のスローガンになっているくらいだから、サラリーマン諸氏が、そう答えたとしても、なんらおかしいことではない。日本の経営者の多くも、この答えを聞けば、満足そうにうなずくかも知れない。
しかし、さいきん私は、楽しい職場というときの「楽しい」ということばに、なにか心にひっかかるものを感じ、このことばはクセモノだぞ、と思うようになってきている。というのは、ドライブに出かけて楽しむとか、子供が遊園地で遊んで楽しんでいるとか、要するに、遊びの「楽しさ」と、職場や仕事の楽しさとが混同されては困る、おかしいではないか、ということなのである。
仕事の都合で、1年の大半をニューヨークで生活するようになって、アメリカ人といっしょに仕事をし、彼らの働きぶりを見るにつけて、私はますます、この点を強調しなければならないと思うようになった。
いったい、人生を楽しむ、仕事をエンジョイするといった態度は、戦後、日本人がアメリカから、民主主義といっしょに学んだことなのだろうが、本家のアメリカ人は、決して、日本でいわれるようなやりかたで、仕事を「楽しん」でいるのではない。
彼らは、会社では、もうけるために、それこそ真剣に、とことんまで働く。仕事をする。「楽しむ」のは、会社の外や家庭においてである。会社の内と外とのケジメをつける点では、私たちが驚くほど、厳しいものだ。
これは、物事に対する根本的な考えかた、根本理念(フィロソフィー)にかかわる問題だと、私は考える。それも、日米間の考えかたの相違というのではなく、日本ではいつでも、フィロソフィーが不鮮明で、はなはだ曖昧模糊としているということなのである。