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学歴とは何者なのか

 評価ということに関連して、日本ではぜひとも触れなければならないのが、学歴偏重・学歴主義とでも呼ぶべき傾向である。この傾向は、組織が大きくなればなるほど、隠然たる力を持つものらしい。

 私にいわせれば、この学歴を重んずる傾向ほど、会社の中で、仕事本位の実力評価をさまたげてきたものはないのである。

ニューヨークの事務所 ©文藝春秋

 いったい学歴とは、何者なのか。会社は、激しい過当競争のさなかにあって、実力で勝負しなければならないというのに、そこで働いている人は、入社前に教育を受けた「場所」で評価されるというのは、どう考えても納得がゆかない。教育の「質」が問われるのならまだわかる。「場所」というのは、正常ではない。

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 わずか数年間の学校教育が、以後何十年にもわたって、その人の看板として通用するというのは、奇妙というほかはない。

 たとえば、私は学校では物理を修めたことになっている。しかし、アメリカへ行って、私は物理屋だといって就職したら、一日でクビになるだろう。

 私に関する限り、いまや学校で習ったことでは、まったく通用しない。物理屋としてではなく、経営とか、その他なんらかの能力をみて採用してくれたら、私はアメリカでも十分働くだけの自信はある。

学歴というハシゴをはずせ

 なぜ、日本では、昔その人が習ってきたことにそんなにこだわるのか。実際、大学でえている専門の学問が、どの程度まで企業の要求するものに役立つか、はなはだ疑問である。

 まして、それが、真の実力評価をさまたげているとすれば、学歴は度外視したほうがいいのである。そうしたほうが、ほんものの楽しさが出てくる。

「学歴をやめたら、どう人を評価したらよいかわからない。やめる前に評価の方法を十分に検討しなければ、混乱を招くだけだ」という意見もある。

 私の答はこうだ。「混乱し、たいへんなことになっていいんだ。まずハシゴをはずすこと。学歴というハシゴなしで、どうやって上に登ってゆけるか、それを考えるのが大事なのだ」

 強引だろうか。たしかに、評価の方法や制度化について、私も具体的な提案を持っているわけではない。どなたかに教えていただきたいと切に望んでいるが、なによりも、学歴というハシゴをはずすことが、早道だと考えたわけである。

 本来の実力主義・能力主義でないと、今日の企業競争に勝ってゆけないことは、あまりにも明白であろう。

 それには、つねにおたがいを評価しあう方法や、習慣が確立されなければならないと思うのである。

 そのとき、職場の楽しさも、ほんものになるはずである。