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「すぐにでも見つかる」と思っていたが…

 調べてみると、夫はYAMAPのアカウントを持っていたので、パスワードを推測してログインし、手掛かりとなるような情報がないか探してみた。捜索ボランティアの団体からは、「捜索を行なうので詳細な情報を教示・発信してほしい」と言われた。民間山岳救助隊やドローン会社の代表者からも捜索への協力申し出があった。また、夫の同行者のひとりにも電話で話を聞いた。

「どうしてこのようなことになったのか、経緯をお聞きしました。『申し訳ありません』と謝られましたが、私は混乱していてなにも言えませんでした。その方は翌日の捜索にも参加されていて、心身ともに疲れていたようなので、『そうですか。わかりました』とだけ伝えて、話は終わったと記憶しています」

 夫の遭難が明らかになって捜索が始まった11日、桂子はすぐにでも見つかるものと思っていた。下山するルートはわかっているのだから、本人がひと晩だけがんばってくれれば、帰ってこられるはずだ、と。ところが、捜索初日の夕方にもたらされたのは、「手掛かりがなく捜索は終了した」という知らせだった。それを聞いて膨らんだのが、「ルートがわかっているのに、その周辺を一日捜しても見つからないのはどうしてなんだろう」という疑問と不安だった。

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「国見岳がどのような山なのか、現地に行ったことのない私にはなんの知識もありませんでした。また、山の捜索がどのように行なわれるのかということさえわかっていませんでした。だから、水や食料もなく、二晩も山で過ごすことができるのだろうかと、不安が募りました。7歳の娘には詳細は話していませんでしたが、誤魔化せる年齢ではないので、『お父さんは山に行って帰り道がわからなくなっているから、今捜してもらっている。帰ってくるまでに少し時間がかかるかもしれないよ』と話していました」

 捜索2日目以降、警察と消防の捜索隊からは、朝に「本日は○○人態勢で捜索に入ります」という連絡が、夕方4時前後には「本日はこの場所を捜しましたが、手掛かりはありませんでした」という連絡が入った。その定期的なやり取りの際には、警察の担当者から毎回、励ましの言葉をかけられた。捜索の進捗状況は常に気になっていたが、捜索エリアはほとんど携帯の電波が入らない場所だったし、捜索の邪魔をしてもいけないと思ったので、桂子からは極力、連絡しないようにした。

 ボランティアによる本格的な捜索が始まったのも12日からだったようだ。といっても組織立った捜索隊が編成されたわけではない。

 Twitterを通じて協力を申し出たボランティアは、桂子から提供された情報――夫の当日の服装、装備、遭難するまでの経緯など――をもとに、個々もしくは小グループで山に入って捜索を行なった。ボランティアによっては、その結果をYAMAPなどで報告する者もいた。

 しかし、バラバラに捜索を行なったのでは、同じ場所を何度も捜すというようなロスが出てしまい、効率が悪い。そこで協力者のひとりが取りまとめ役を買って出て、桂子と連絡を取り合いながら、個々のボランティアが捜索した場所を集約した。そのエリアを地図上で塗りつぶしてTwitterで公開した。もちろん、ボランティアたちによる捜索だけではなく、警察や消防の捜索隊とも情報を共有し、捜索範囲を絞り込んでいった。