学校から離れたことで服装がラフに
――お金の面で不安はなかったですか。
Otomato 娘も30を過ぎていて、仕事も辞めそうになかったですし、すでに両方の親を見送っていたので、夫婦2人だけならそんなに頑張って働かなくてもいいかな、と。
今は再雇用制度でどんどん引退が遅くなっていて、皆さん65歳とかまで働かれていますよね。それはそれで安定していいかな、とも思いましたが、やっぱり、人間いつ死ぬかわからないから、好きなことをやってみよう、という気持ちの方が大きかったですね。
――学校から離れたことで、ファッションも変わりましたか。
Otomato 保護者と会うときはもちろん、私立だとブレザー必須の学校もありますし、式典は礼服と決まりがあります。それに比べたら、やっぱりラフになりました。ジーンズなんかは学校では穿けないですから。
――では、教員時代は好きなようにおしゃれを楽しめなかった?
Otomato 規則やTPO的な部分もありますし、ちょっとアクセサリーなんかをすると、生徒から「なんで先生だけピアスしていいの?」と言われちゃうんですね。
――「自分たちは校則でNGなのに、なんで先生だけいいの?」ということですか。
Otomato そうですね。不公平感を感じるのでしょう。というかそもそも、多様性を謳いながら均一性を求めるような矛盾した校則のせいで、生徒たちが不公平感を感じやすいのかなと思います。
教員はやりがいだらけの仕事ではあったが…
――教師として指導していても納得できないところがあった?
Otomato 非常に窮屈でしたね。外国人とのミックスの生徒もたくさんいるのに、黒染めを指導しなければいけなかったときは、ものすごく苦痛でした。この時代において学校だけが取り残されていて、英語を教えていましたけど、メンタル的には完全に鎖国状態だな、と。
ただ、私が1人で撮影をしていたら、たまたま居合わせた教え子たちが話しかけてくれたんです。仕事は大変でしたけど、生徒たちは本当にかわいいし、希望ですよ。
――YouTuberという働き方にシフトして良かったことは?
Otomato 先ほども申し上げましたが、本当は1人が好きなんです。だから、仕事をしているときはものすごく気を遣って生きていて。教員はやりがいだらけの仕事ではありましたけども、とにかく疲れました(笑)。そういう意味では、今の働き方はマイペースにできるし、自分に合ってるな、と思うんです。
写真=平松市聖/文藝春秋
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