「あの大会は小学1~6年まで学年別にトーナメントを行うのですが、各学年の定員が32名しかありません(※参加人数192名。各学年1、2位になると、合計12人でのグランドチャンピオントーナメントに進む形式だった)。申し込みが多く抽選だったので、3年生の部の準決勝で藤井―伊藤戦が実現したのは偶然なんです。いや、運命ですかね(笑)
負けて藤井さんが大泣きして困ったんですよ。というのも、3位まで賞状があるので、3位決定戦をしなければならなくて。なので泣いている藤井さんに『どうする、指す、それともやめる?』と聞いたら泣きながら『指す』って言って。相手が伊藤くんじゃ負けてもしょうがないよとは思っていたんです。ええ、私も伊藤くんの強さは知っていましたから。
私は全体を見なければいけないのですが、藤井さんがどんな将棋を指すのかと思い見ていたら、ショックを受けたんです。どんな戦型かは忘れたものの、とてもきれいな駒組みをしていました。とても小学3年が指せる布陣ではない。ああ、こんな将棋が指せるのならば、負けたら泣くなと思いました。
でも竜王戦第3局すごかったですよね、匠くんの読みがです。藤井さんが金取りを無視して飛車を成り込んだ手に、伊藤さんも『飛車を成られて負けだと思いました』と言うなんて、読み筋と波長が合っているんですよ。あれには驚きました。たっくん、いや伊藤君は強くなりますよ」
何度倒れても起き上がり、王者に戦いを挑む
昨年12月、棋王戦でも伊藤が挑戦者となり、五番勝負は今年2月4日に開幕した。
第1局は伊藤が後手番となり、藤井得意の角換わり腰掛け銀を受けて立ち、見事な研究と絶妙の入玉術で持将棋引き分けに持ち込んだ。440局以上の公式戦で藤井が持将棋になったのは初めてだ。「伊藤七段の手のひらの上の将棋」と藤井がコメントしたほど、伊藤が盤面をコントロールしていた。
しかし、その後は藤井の独壇場だった。第4局では伊藤の角換わりを拒否して力戦に持ち込み完勝。竜王戦4連勝棋王戦3連勝と、いずれもストレートで防衛した。
各棋戦でA級棋士をなで斬りしている伊藤が、一発も入れることができないとは……と、この結果は棋士の間でも衝撃だった。伊藤の評価はトップ棋士でも高かったからだ。渡辺明九段の観戦記をとったときに聞くと、渡辺も「1つも入らないとはねぇ」と首をかしげた。
1つ勝てば流れが変わるとか、伊藤は相手の得意を外さない真っ向勝負だから厳しいとか、様々な意見を聞いた。その昔、羽生にタイトル戦で負けた棋士が調子を崩すことが多かったように、伊藤もしばらくは立ち直れないのではという意見もあった。
それでも伊藤は崩れなかった。順位戦C級1組で昇級枠を勝ち取り、叡王戦でも挑戦権を得た。何度倒れても起き上がり、藤井と対峙するためのリングに上がってきたのだ。