そして叡王戦五番勝負が始まった
第9期叡王戦五番勝負は、4月7日に開幕した。
第1局は藤井の角換わりに対して、伊藤が右玉に組み替える待機策にした。伊藤にもチャンスのある将棋だったが藤井勝ち。第2局は、後手の藤井が初の3三金型角換わりに。棋王戦第4局といい、明らかに藤井は伊藤相手には戦い方を変えている。これまた難解な将棋だったが、終盤で伊藤が抜け出した。藤井戦の連敗を11で止める大きな勝利だった。
そして第3局が5月2日、愛知県名古屋市「名古屋東急ホテル」で行われた。
対局開始は午前9時。藤井の角換わり腰掛け銀に対し、伊藤は6二金―8一飛型ではなく5二金―8二飛の旧式に構えた。伊藤が旧式を採用するのは初めてだ。とはいえ藤井も驚いた様子はなく、開始から40分足らずで仕掛ける。速いペースになるのはわかっていたよ。私は8時には下りの新幹線に乗っていた。
さて、途中までは昨年8月に行われたA級順位戦の稲葉陽八段ー渡辺明九段戦と同じ進行だ。先手の稲葉は3筋を突いたところで、藤井は継ぎ歩から自陣角を据えた。
10時前に控室に入った。立会人の島朗九段と見届人アテンドの糸谷哲郎八段、佐々木海法女流初段に挨拶する。糸谷が「互いに研究範囲のようですが、今後、伊藤さんがどういう手を用意しているか注目ですね」と言い、島もうなずく。
伊藤は、下段に構えていた藤井の飛車を歩で叩き、上にずらしてから自玉を守る。時間の使い方からして、ここまでは予定通りだろう。
その後、藤井はすぐに飛車を下段に戻して手を渡し、伊藤が4筋の歩を伸ばした。藤井は長考に沈み、そのまま昼食休憩に入った。そして休憩明け、藤井の対応は見事だった。玉を引いてまたも手を渡したのだ。仕掛けた後に2手続けての手渡しとは、なんという緩急の付け方か。やはり大山康晴十五世名人の生まれ変わりか。対して伊藤は敵玉近くに歩を垂らし、反撃の準備を整える。この垂らしはプロなら第一感という手だ。ここまでは後手まずまずという空気だった。
ところが、藤井が端に手をつけて桂を香と交換し、取った香を2筋に打ったところで、空気が一変した。これならなんとかなるだろう……おや? なかなか受けが難しいぞ。玉引きと歩の垂らしの交換で先手が得をしている。糸谷が「これは嫌な攻めですね」と言い、みながうなずく。
対局会場からほど近い中電ホールでは大盤解説会が始まり、佐々木勇気八段と野原未蘭女流初段が丁寧に解説していた。佐々木は玉引きと歩の垂らしの交換がない局面で研究したことがあるそうで、「将棋って、ちょっと形が違うだけで結果が違ってくるんですよ」とこの戦型の難しさを説明していた。
弟弟子の仕事ぶりを確認して私が対局場の控室に戻っても、まだ局面には動きがない。糸谷は「(AIを使って人間離れした)最善の研究をしなければならないし、人間が指す手も押さえとかなくてはいけないし。事前研究は大変なんです」とため息をついた。
控室に藤井の師匠、杉本昌隆八段の姿があった。大盤解説会でゲスト解説するそうだ。
藤井の調子はどう見ていますかと聞くと、「うーん、80パーセントくらいですかね」とやや気がかりな表情で答えた。藤井にとっては本調子ではないということなのだろう。
写真=勝又清和