いきなり小説の外側のことから話を始めるけれど、「恐竜時代が終わらない」という名の中編が最初に掲載されたのは文藝春秋の文芸誌『文學界』であって、単行本を出した書肆侃侃房とは版元が異なっている。山野辺太郎の最近の著作にはこういうパターンが多く、『孤島の飛来人』も『こんとんの居場所』も初出誌の出版社からは単行本が出ていない。これは不思議なことじゃないか。昨今の出版業界の状況に照らせば、純文学系の作家の雑誌掲載された小説が単行本になるにはそれなりに高いハードルがあるのは、なんとなくわかる。でも山野辺太郎の本は出続けている。いまのところ必ず、どこか他社の編集者が見つけ、手にとって磨きあげ、本にしている。
そこで起こっている流れは、山野辺太郎の小説内に根づいた物語の運動と、きれいな相似形をなしている気がしてならない。
《恐竜時代の出来事のお話をぜひ聞かせていただきたい》。世界オーラルヒストリー学会の蓮田由理子なる人物から、奇妙な依頼を受けた岡島謙吾。恐竜時代の出来事というのは、かつて謙吾の父が夜な夜な語り聞かせてくれたジュラ紀のストーリーだ。父もまたその父から聞き繋いだという太古から伝わる物語の噂は、なぜか遠く九州までも届いているそう。謙吾は都内の学会でわずかな聴衆に向けて語り始める。ブラキオサウルスのエミリオ、アロサウルスのガビノらが登場する魅力的な恋物語は、謙吾自身が「絶えず修繕を重ね」たと言うように、語り手の個人史をどこか反映しているように見える。
最後にどんな結末が待っていようと、こうして恐竜時代の記憶は終わらずに、引き継がれていくことになる。恐竜が恐竜を食べるように、血や肉になり栄養分となって種族を超えていく。いま継承されると書こうとしてやめたのは、継承ということばの持つ重みがこの小説にそぐわない気がしたからだ。父から子へと口伝されてきた話ではあるが、そこに家系や血縁は必要ない。現に子を持たない謙吾は、この話を不特定少数の聴衆へ語り開いている。
講演を依頼したにもかかわらず会場に姿を現さなかった蓮田先生を筆頭に、この小説の人物ははっきりとした別れの瞬間を経ずにフェードアウトする。各人がほんの少しの役割を果たしながら、ひとつのプロジェクトを引き継ぐように運動が続く。私たちはそれを小説の形で後から目にする。
運動の結果現れるのは、とても小さくごく個人的な記憶だ。それは残そうと思って残すものではなく、結果として残っていってしまうもの。残るべくして残ったような感触もある。
冒頭の時点には戻らずに、どこか投げっぱなしに終わっていくラストがいい。山野辺太郎の語りは物語的円環の中に閉じることなく、誰かに語り直されることを待っているようだ。
やまのべたろう/1975年、福島県生まれ。宮城県育ち。2018年、「いつか深い穴に落ちるまで」で第55回文藝賞を受賞し、作家デビュー。著書に『孤島の飛来人』(中央公論新社刊)、『こんとんの居場所』(国書刊行会刊)などがある。
あてらざわしん/1985年、山形県生まれ。歌人。2017年作歌開始。2023年、「似た気持ち」50首で第5回笹井宏之賞大賞を受賞。