俳優の中尾彬さんが心不全のため81歳で亡くなりました。渋い声と「ネジネジ」のネクタイがトレードマーク。生前は、芸能界きってのおしどり夫婦としても知られた妻・池波志乃さんとの“終活”についても語っていました。「週刊文春」に掲載された、阿川佐和子さんとの対談をあらためて公開します。(全2回の後編/前編から続く)
※初出:「週刊文春」2019年3月21日号。年齢、肩書は当時のまま
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夫婦でほぼ同時期に病気に「生存率は20%と言われた」
中尾 最初、“終活”という言葉を知らなかったんですよ。木更津にあったアトリエを片づけたり、墓を建てたときに取材されて、その話をしたら、「それ、終活ですね」と言われたんです。そこから「あ、そうなんだ」と思って、さらに進めたようなもんですね。
最初は、僕と志乃の両方が、十数年前、ほぼ同時期に大きな病気にかかって……。特に僕は“急性肺炎および横紋筋融解症”という大きな病気になって、生存率は20%と医者から言われたんです。
阿川 20パーセント!? よくぞ回復されましたね……。
中尾 志乃は僕の死亡会見の準備をしていたくらいですから。そこから数年経って、我々には子どももいないし、亡くなったときのために色々と整理する必要があるなって話し合ったんです。それで遺書をまず書いて。
阿川 お子さんがいらっしゃらないわけだから、遺産を誰それに残すというような遺書じゃなくて?
中尾 違います。まず自分たちはなにをどのくらい持っていて、たとえばこの絵は誰々に渡るようにという風に整理のために作ったんです。そのうちに、今度はお墓を建てようかとなって。
阿川 写真で拝見しました。ほとんどの墓石は縦長なのに、横にしてらして、古代文明の遺跡みたいで素敵でした。
中尾 絵はずっと描いてきましたが、彫刻をやったことがなくて、「いいチャンスだ、イサム・ノグチで行こう」となりました(笑)。
阿川 創作意欲が燃えちゃった(笑)。