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《朝日の政治報道の中核を担っている人間が事件を笑っている。人の命を暴力的に奪う殺人と、言論による安倍政権批判との区別もつかない状況に慄然とした。「あなたのような人間は政治部デスクの資格がないから、辞めるべきだ」そう指摘した。しかし、「僕、辞めろって言われちゃったよ」と茶化して何の反省も示さなかったどころか、その後もしつこくつきまとわれた。》

 読んでいてゾッとした。

《冷笑に満ち溢れた管理職が跋扈する姿は、近年の幹部のもとで進んだ人心の荒廃を象徴するものだと感じた。》

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 安倍政権の振る舞いを書いてきた南氏に「うれしそうだね」とニタニタ声をかけてきた上司は、時の政権や権力者を批判したり声を上げて抗議する人びとを冷笑し、茶化していたことになる。そうした風潮は世の中全体に広がっている。

《市民社会でいろいろな声をあげている人々がそういう形で冷笑される風潮が強まるなか、記者でもある僕がそれと向き合わなかったり、ましてや冷笑を容認してしまえば、これは記者としての役割を果たしたことにはならないでしょう。》

こんな新聞記者はいらない

 南氏は朝日新聞を退職し、沖縄に移住して「琉球新報」の記者になった。地元紙の記者は、記者である前にその土地の当事者であり生活者である。期せずして今回、朝日新聞の編集委員が放った言葉を思い出す。

《あ、この相談者の方はそうした境遇の方なのかもしれませんね。そうでしたら誠に失礼しました。》

 冷笑にはいくつもタイプがあると思う。自分が恵まれているのを自覚して上から目線になるタイプ。声を上げても変わらないよと冷笑し、あたかも無関心が平穏無事だと思い込むタイプ。そんな振る舞いにより多数派、体制側の気分を満喫するタイプ。さらには「非効率」を嘲笑するようになるタイプ。今回の朝日新聞の記者たちの言動はすべてに該当すると思われる。見事に当事者性が欠落している。朝日の冷笑の一端が可視化されたのは良かったと思うしかない。理不尽を憂う人を小馬鹿にする新聞記者なんていらない。