「もう来ないでくれる?」
同じ人とは思えないような冷たい表情をして、突き放すようにそう言ったのです。どうやって帰ってきたのかは覚えていませんが、それ以来、すぐ近くのその家とそこに住む親子は、僕にとって遠い存在になりました。
もちろん悲しかったけれど、やはり、仕方ないことだよなとも感じました。
繰り返しになりますが、僕は頭を怪我したからです。それだけのことだけれど、なにかを背負ってしまったのは間違いないのです。それが痛いほどわかったものだから、しかも時間は戻せないから、受け入れるしかなかったのです。もちろん、無性に悲しかったですけどね。
「負けてたまるか」という心の芽生え
とはいっても、完全に絶望し、前向きに生きていくことを放棄したわけではなかったようにも思います。それどころか、「絶対に負けてたまるか」というような気持ちがいつもありました。
勝ち負けの問題ではないのですけれど、それは過剰なくらいに負けず嫌いで、つねになにかに抗っているように見えた母からの影響だと思えてならないのです。そういう意味では、母の存在とそこから得た影響こそが、僕にとっての“抗い”の原点なのかもしれません。
ただし、先にも触れたとおり母は僕にとって非常に問題のある存在でもありました。“自分を生んでくれた大切な存在”と美しくまとめることのできない、モヤモヤとした感情はいつでもたしかにあったのです。
「ほめられたこと」がなかった
僕には会ったことのない兄がいます。
彼は僕が生まれる前、病気のために生後一年を経ずして亡くなってしまったのです。したがって実質的に長男として育てられたものの、戸籍上、僕は次男だということになります。
なにしろ第一子を失ったあとですから、両親、とくに母は僕のことをとにかく慎重に育てたようです。叔母などに話を聞いてみると手のかけ具合は尋常ではなかったらしく、「あなただけは特別だった」と何度も言われました。それは事実なのでしょうし、外部から見れば僕は“たっぷり愛情を注がれてきた子”であるように映っていたのかもしれません。
ただし、外側から見えるものと内側からしか見えないものには大きな違いがあったりするものです。僕がまさにそうで、端的にいえば、かなり偏った育てられ方をしたのです。もちろん、嫌われているわけではなく、むしろ愛情を注がれているのであろうことは推測することができました。
しかし、その育て方にはどこか大きな歪みがあったということ。