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「頭を打って終わった子」に

 でも本当の意味でハードだったのは、むしろ社会復帰してからでした。なにしろ頭を打ったので(後遺症で、歩き方にもおかしなクセがつきましたし)、同級生やその親、近所の人など周囲の方々から「頭を打って終わった子」というような目で見られるようになってしまったのです。

 決して大げさな表現ではなく、歩いているだけで「あの怪我があったからねえ」などという声が聞こえてくるなんてことは日常茶飯事。一歩足を踏み出すだけでなにかを囁かれるような状況は、10歳男児にとってなかなかハードでした。

 ただし、それは仕方がないことだとも思っていたのです。入院中にお見舞いに来てくれた同級生が真剣な顔で「僕のことわかる?」と訊ねてきたことについて母は激怒していましたが、僕はただ、「そりゃそうだろうな」と思っていました。大人から好奇心に満ちた視線を向けられても、そういうものだろうと感じていました。

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 理由は簡単です。僕は頭を怪我したからです。

 そして、もし怪我をしたのが自分ではなく、誰か別の子だったら、僕もその子のことを奇異の目で見ていたかもしれないからです。「子どもにそんなことを考えられるはずがない」と思われるかもしれませんが、子どもだってその程度のことは考えられます。いや、子どもだからこそ変化を敏感に感じ取っていたのかもしれません。

 とはいえ本音の部分では、そりゃーキツかったですけれど。

 あのころは、常に悪夢のなかにいるような気分でした。

 どんよりとした不安がすぐ手に届く場所にいつもあって、なんの根拠もなく「僕はもうすぐ死ぬんだろう」などという意味不明なことを信じてもいました。

 生き返ったくせにお笑いですけれど、どうしようもない絶望感がずっと周囲に漂っているような感じだったわけです。顔では笑っていても、笑顔を向ける相手のその向こう側には、どうしようもない悲しさがこちらを見ていたというような。

 けれど、どうすることもできません。なにしろ、起きてしまった“事実”を変えることはできないのですから。つまり、目の前の現実を受け入れる以外に手段はなかったわけです。つまり、そのときから僕の「抗い」がはじまったのです。

“やさしいお母さん”の冷酷な一言

 怪我をする前、しばしば数軒先の家へ遊びに行っていました。その家の小さな男の子が僕になついていたため、よく遊んであげていたのです。とてもかわいい子で、お母さんも、仲よく遊ぶ僕たちのことを笑顔で静かに見守ってくれていました。穏やかでやさしく、品のいいお母さんでした。

 長い入院生活を終えて家に戻ってきてから、またその子の家に遊びに行きました。ひさしぶりでしたから、再会が楽しみでした。まだ小さかったその子は僕が大怪我をしたことなど知らず、以前のようになついてきました。ただ、いつも穏やかな笑顔をしていたはずのお母さんは違いました。