その後、通院する日々が続きましたが、一向によくならないまま症状が悪化して、ついには、2か月近く入院して、内ももの皮膚を移植することになりました。

 この病気のための通院・入院で、専門学校の授業はまともに受けられませんでした。なんとか卒業はできましたが、その後も闘病生活は続くことになったのです。

再度の皮膚移植

 最初の皮膚移植のあと、少しは症状も治まりました。そしてボクは保育系の短大に進学しました。専門学校はなんとか卒業したものの、病院通いで中途半端に終わっていましたし、もっと専門的なスキルを身につけないと、これから先の人生設計なんて立てられないと思ったからでした。

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 そのときのボクは、めちゃくちゃポジティブだったと思います。新しい生活が始まるときって、誰でも前向きになれるじゃないですか!

 また、それに加えて、ボクはダイエットにも成功していました。

「新しい生活を始めるにあたって、やっぱり100キロ超ではまずいだろう。体もスッキリさせよう」という気持ちから、食べる量を控えてひたすら歩くという、いかにも素人が考えるようなダイエット法でした。

 それでも効果はありました。その時期、ボクは沖縄本島を何周もするほど歩きましたが、体重を85キロまで落とすことに成功したのです。

 それだけ体重を落とすと、息が切れることもなく、体も動かしやすくなります。それだけではありません。気持ちもどんどん前向きになっていきました。

 そのまま、なにごともなければ、ボクは、保育の先生になって、今頃は子どもたちに囲まれた生活を送っていたかもしれません。

 でも、人生そうそう、うまくいくものではありませんでした。短大に入学した矢先に、またしても症状がひどくなってしまったのです。

 皮膚にあいた傷が広がって膿が出てくるのに加え、汗のような汁が大量に出てきて、バスタオルがビショビショになるほどでした。それでも、また皮膚の移植手術を受けることになるのがイヤで、病院には行かず、家族にも何も言わずに我慢していました。

 母は、ボクが毎日、ビショビショになったタオルを洗濯に出すのに気づき、「水でもこぼしているのかしら。それにしても毎日出すのはおかしい」と気づいたようですが、ボクは何もないような顔をし続けていましたしかし症状はどんどん悪化していきました。そしてとうとう“マジにヤバい状態”になってしまいました。その段階でボクは、ようやく病院に行って診てもらいましたが、案の定、再び皮膚移植を受けることになってしまいました。