1ページ目から読む
2/2ページ目

 お客とともに育み、磨き上げてきた魂が宿る。その建物を1日にして失う。それも、心の準備もなく。どれほどの大きな喪失感だっただろう。

「どうしよう……という迷いもありました。ただ火災が起こった日は偶然にも昭和31(1956)年の芦原大火後に『べにや』を再建した祖父の命日でしたし、祖父からの『がんばれ』というメッセージではないかと受け止め、同じ場所で旅館をやりたいと決意しました」と当時の心情を話す奥村隆司社長。

 さらに奥村社長と女将の背中を押した要因が2つある。

ADVERTISEMENT

 まず温泉の源泉。奥村社長は「源泉は使えるままの状態で残りました。あぁ、源泉があればもう一度、この場所でまた宿ができると決意を強くしました」。

 次に「べにや」を愛したお客の声だった。

「2000通ものお便りが届きました。私どもの宿をこんなにも愛していただいていたのかと、驚きました」と女将はうっすら涙を浮かべた。

志村けんから意外な励ましの電話が…

志村けんさん ©文藝春秋

 その無数の励ましの声のひとつが志村けんからの1本の電話だった。志村けんは毎年「べにや」に宿泊していたが、帰る時に翌年の予約を入れていたので、これまで一度も電話をしてくることはなかった。

 志村けんが初めて「べにや」に電話をかけてきたのは令和元(2019)年11月18日。「どう? 再建は進んでる? 必ず一番最初に行くからね。お正月を待たずに行くからね。身体に気を付けて、頑張ってね」

 短い電話だったが、再建にさまざまな不安を抱えていた奥村社長と女将の心に届いた。

 新型コロナの影響で建材が入手しにくくなり、新たな壁が立ちはだかるも、強い思いで突き進んでいく。