2018年11月に日本中を驚かせたカルロス・ゴーン氏の逮捕劇。当時、社長として日産自動車を率いて西川廣人氏は事件をどのように見ていたのだろうか。日産自動車による“陰謀”だったのか? 彼が初めて筆を執った著書『わたしと日産 巨大自動車産業の光と影』(講談社)(全3回の1回目/#2、#3を読む)より一部抜粋。西川元社長が振り返る事件の“本質”――。
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ゴーンと西川氏は「対立関係」にあったのか
今となっては旧聞に属する話かもしれないが、まずは私の視点でゴーン事件を振り返り、事件の本質について思うところを述べておきたい。
私は1953年11月、カルロス・ゴーンは1954年3月に生まれている。日本流にいえば同学年ということになる。
2017年4月1日、私はゴーンの後継として、日産自動車の社長兼最高経営責任者(CEO)に就任した。それまで18年にわたって日産を率いてきたゴーンは同日、日産の会長となった。ゴーンの後継としての私の仕事は、2000年から積み重ねてきた日産改革の集大成、次世代への引き継ぎの二つが柱になるはずだった。
ところが、社長就任からわずか1年半後の2018年11月19日、あろうことか会長のゴーンが金融商品取引法違反で東京地検特捜部に逮捕され、私は社内外に広がる混乱の収拾という全く想定外の仕事に追われる羽目になった。
遡ること19年前の1999年、ゴーンは経営難に陥っていた日産にフランスの自動車会社ルノーから最高執行責任者(COO)として送り込まれた。2001年には日産のCEOに就任している。
これまでの報道を振り返ると、大成功を収めた「ゴーン改革」から、不正の発覚、4度にわたる逮捕、保釈中の国外逃亡と続いた「ゴーン事件」に至るまで、センセーショナルあるいはドラマチックな部分ばかり報じられてきた感がある。
確かに一連の出来事や事件はドラマとセンセーションに満ちており、折にふれて単発的に報道されてきたが、ここで流れを整理しておきたい。
そもそもゴーン事件が明るみに出たのは内部告発がきっかけだった。ゴーンの罪は金融商品取引法違反にとどまらず、会社法違反(特別背任)にまで発展した。簡単にいえば、ゴーンは日産のトップという立場を悪用して私腹を肥やしたのである。保釈中の209年12月に中東のレバノンへ逃亡したゴーンは一貫して無罪を主張し、一連の事件をこう断じている。