白のTシャツにスウェットパンツ姿の猪木に、黒のウィンドブレーカー上下のタッキーが向かい合う。レフェリーの藤原喜明が、両者をリング中央に呼んで注意事項を告げると、猪木が「時間無制限でやらせろ」とアピール。さらに、頬を軽く張ると、プロレス志望者らしく、タッキーは思いのほか大きく吹っ飛んだ。早くも女性ファンの悲鳴が響き渡る。
試合に勝ったのは…
開始のゴングと同時に、猪木はモハメド・アリ戦で見せたスライディングキックを放った。エキシビションマッチの範疇を超えている。それを牛若丸のような天才的な反射神経で、タッキーが跳び上がってかわすと、場内の興奮はいきなり最高潮に達した。
序盤は猪木のペースである。手四つからリバーススープレックス、タックルで組み伏せ、マウントポジションから張り手の連打。レフェリーの制止も聞かず殴り続ける。芸能人相手の平和なムードを壊そうとしているように映る。
程なくして、タッキーも反撃に移る。猪木のTシャツを引き裂き、ローキック五連発。たまらずダウンした猪木にエルボードロップ。すかさず、フォールの体勢に入ると、レフェリーが超高速3カウントを決め、見事にタッキーが勝利を収めた。
「叩かれた痛みも、うれしさに変わった。改めて冗談抜きでプロレスを真剣に勉強したくなった。ジャニーズ初のプロレスラーってのもいいですね」(滝沢秀明のコメント/2000年3月12日付/スポーツ報知)
その後、リング復帰が幾度となく噂されたアントニオ猪木だったが、二〇一三年に国政に復帰すると、噂も立ち消え、二〇二二年十月一日に他界するまで、一度も試合を行うことはなかった。
かくして「第2回メモリアル力道山」における滝沢秀明戦こそ“プロレスの天才”アントニオ猪木にとって、正真正銘のラストマッチとなったのである。