「おまえなあ、こんな案件、審査通らんぞ。ダメダメ」

 マイホームを楽しむにするお客のために住宅ローン申請のために奔走した新人銀行マン。ところが、上司からは「貧乏人に家買う資格はない。うちら慈善事業とちゃうぞ」と書類を突き返される始末……。新人銀行マン、そしてマイホームを楽しみにする家族はどうなってしまうのか? 現役行員の目黒冬弥氏による『メガバンク銀行員ぐだぐだ日記 このたびの件、深くお詫び申しあげます』(三五館シンシャ)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

新人銀行マンの努力はなぜ無駄にならなかったのか? 写真はイメージ ©getty

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「住宅ローンの申し込みを相談したいんやけど」

 銀行業界が繁栄を謳歌したバブル経済が終わりを迎えようとしているころ、私は銀行員としての第一歩を歩み出す。最初の勤務地は、大阪のベッドタウンでもある吹田支店。初任給はたしか額面で18万8000円だった。

 私は「取引先課」に配属されることになる。要は営業である。大学では経済や法律とは無縁の学部だったのと、もの覚えの悪さも手伝って、私は取引先課でまともな仕事をまかされず、集配金などの御用聞きや便利屋的な仕事に従事していた。

 ある冬の日、集金に出ようとしたときのこと。来店していた男性客から呼び止められた。

「住宅ローンの申し込みを相談したいんやけど」

 住宅ローンの申込受付はやったことも教わったこともなかった。先輩に引き継ごうとすると「忙しいから、あなたがやりなさいよ」と突き放された。こうなったら自分でやるしかない。

 30代の杉山さんは奥さんと2人の息子の4人暮らし。上の子どもが小学校に入学するタイミングでマイホームの購入を希望していた。

 あわててほかのお客の申込書を見本にして、見よう見まねで記入してもらう。

 その次は必要書類に関する説明だ。収入証明や不動産謄本をもらってきてほしいと伝える。

 書類を先輩のところに持っていくが、慣れない作業のため、「ここが抜けている」「これが足りない」「ここは訂正印」と差し戻しを重ねることになった。

 その後もあの書類この書類と取り寄せ、記入し、確認する。間違いがあるたびに訂正が必要になる。杉山さん宅を何度訪問しただろう。

 杉山さん宅を何度も訪れるうちに、奥さんや幼稚園に通う2人の子どもとはすっかり顔なじみになってしまった。奥さんはいつも「いらっしゃい」と笑顔で迎えてくれたが、あまりの手際の悪さに杉山さんから不信感を持たれないか、嫌がられないか、担当を替えろと言い出されないか、ほかの銀行に乗り換えられないか……心配は尽きず、もうヘロヘロだった。

 なんの問題もない案件ならば、書類を取り揃えて2週間程度で審査結果がわかる。しかし、私の段取りの悪さで杉山さんを1カ月も待たせることになってしまった。

 そんなこんなでようやく整えた書類一式を課長に提出した。

「おまえなあ、こんな案件、審査通らんぞ。ダメダメ」