にこやかな表情の博子が、口を開いた。博子は服部に向かって小さく頭を下げると、
「服部さん」
と、呼びかける。
名誉会長夫妻からの贈り物
「服部さんのお陰で、中国(市場)がうまくいっていると、(豊田)章男さんから聞きました。章男さんが中国を担当するようになって、こんなに早く順調にいくようになって、私どもも本当に喜んでいるんです。何もかも、服部さんのお陰だと、章男さんも話していました」
こう言うと、博子は椅子から立ち上がり、深々と服部に頭を下げた。息子である章男に“さん”をつけて呼ぶのかと、服部はそのことの方が気になった。慌てた服部が、
「奥様、そんな……」
と、右手を大仰に振り、
「そんなことはないですよ」
と言うと、今度は座っていた章一郎が、
「章男から、服部さんが本当によくやってくれているって聞いてる。本当に君のお陰だよ。中国でやっぱり本領発揮、というところだな、服部君」
一事が万事、鷹揚だった。
椅子に戻った博子は、後ろを振り返って秘書に声をかけた。秘書が細長い薄い箱を博子に手渡した。
「服部さんが気に入ってくれるといいんだけど……」
と言いながら、博子は包みをあけた。赤い色のネクタイだった。博子は箱からネクタイを手に取り、笑顔で服部に示した。
章一郎氏が口に出した“約束”
なぜ名誉会長夫妻が、一社員に対してここまで感謝の念を明らかにしたのか。その事情については後述したいが、このとき、服部は素直に嬉しかった。章一郎とは様々な場面で同席し、話す機会も多かった。だが、その妻の博子と話すような機会は、今まで一度もなかったからだ。
また、自分の中国での働きを非常に評価してもらっていることも、服部を喜ばせた。トヨタにあって、やはり自分は異端の人間であり、異邦人であることは自覚していた。また異邦人が認められるには、常人以上の働きが必要なこともよくわかっていた。
さらに服部を喜ばせる言葉が、章一郎の口から出た。