1972年にトヨタ自動車に入社、のちに中国事務所総代表を務めた服部悦雄氏は、人呼んで「低迷していたトヨタの中国市場を大転換させた立役者」であり、「トヨタを世界一にした社長、奥田碩を誰よりも知る男」。そして何より「豊田家の御曹司、豊田章男を社長にした男」なのだという。2018年に同社を去った服部氏は今、何を思うのか。

 ここでは『トヨタ 中国の怪物』(児玉博 著、文藝春秋)を一部抜粋して紹介。豊田章男に側近として仕えた男が語る“御曹司の素顔”とは――。(全3回の3回目/最初から読む)

トヨタ自動車の11代目社長(現会長)の豊田章男氏 ©時事通信社

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「実はね、名古屋でOB会があってね……、僕も行ってきたんですよ。まだ、指がポキッてなる前だったんだよ」

 服部はこう言って、微かに笑った。「うん、少しは大丈夫かな」と頷いてウエイトレスを呼ぶや、

「焼酎の水割りを少し頂戴」

 と注文して、こちらに顔を向けると、

「調子出さないとね……」

 と、笑顔を見せた。運ばれてきた焼酎に口をつけると、

「美味いね、やっぱり本物のお酒は」

 服部は、とたんに上機嫌になっていった。

「実はトヨタのOB会があってね。それで名古屋に行ってたんだ」

100人以上の元トヨタマンが集結

 服部によればOB会というのは、トヨタの中国の現地法人、つまりトヨタが合弁事業を行っていた、「第一汽車」、「広州汽車」に出向していたトヨタ社員によるもので、名古屋市内のホテルに100名以上が集まり、大盛況だったという。

「トヨタ起死回生の合併劇は、服部さんがやったんだから、服部さんがOB会の中心なんでしょうね」

「皆が驚いてるんだよ、僕が姿を見せたんでね」

「なんでですか? 服部さんは、トヨタ中国のスターみたいなものでしょう?」

 服部はスターという言葉に、苦笑いを浮かべた。

「僕は、スターなんかじゃないよ。ただ、今まで出席したことがなかったから」

 失意の内に帰国してからは、とてもOB会に出るような心境ではなかったという。それが一転、2019年に限っては出席したのだ。