豊田家の親子関係
中国で親しい関係となった服部と章男。ある日のこと、章男は、こんな話を服部に聞かせた。章男によれば、自分は父の章一郎から、常々こう言われ続けたという。
「お前に近寄ってくる者は、お前が好きで寄ってくるんじゃないぞ。お前の後ろに控えている、“トヨタの看板”に引き寄せられるんだ。だから、簡単に人を信用してはいけない」
章男は、“お前の後ろにあるトヨタ”という表現を、別のところでも披露しているようだ。父親は一人息子に、こうした言葉を投げかけ続けたのだろう。
章男は入社した直後、研修を兼ねて配属された組み立て工場で、“ブルーワーカー”の工員たちから苛められ、弱ってしまい、出社できなくなった経験があることも、服部に打ち明けていた。服部はかつて奥田から、こんなエピソードを聞かされたこともあった。
奥田は豊田家の親子、章一郎と章男との諍(いさか)いを、こんな風に服部に伝えていた。それは、章一郎の「米国自動車殿堂」入りを、章男が邪魔していたというものだ。章男の横槍で中々殿堂入りができず、章一郎が苛立っていたという。
米国自動車殿堂入りは、世界の自動車マンの憧れだ。創設された1967年には、世界初の自動車を量産製造・販売した「フォード」創設者、ヘンリー・フォードや、「クライスラー」創業者のウォルター・クライスラーらが選ばれた。日本人で最も早く選出されたのは、「本田技研工業」を創業し、ホンダを世界のトップブランドに育て上げた本田宗一郎だった。1989年のことだ。それから5年後の1994年には、トヨタの5代目社長を務めた豊田英二が選ばれている。選出された理由は、トヨタを世界第3位の自動車メーカーに育て上げた功績だった。
自動車メーカーの創業家一族や、幹部の名誉の証である“殿堂入り”。その殿堂入りを目指す章一郎の邪魔を、息子の章男がしていると、奥田は服部に囁いたのだった。
本人に聞いてみると…
服部は直接、章男に聞いた。
「章男さん、奥田さんから聞いたんだけど、章男さんが章一郎さんの“殿堂入り”の邪魔をしていたって、本当なの?」