章男は最初キョトンとしていたが、事情を理解すると突然笑い出して、
「そんな馬鹿なことする訳ありませんよ。なんで僕が、そんなことをする必要があるんですか?」
笑っている章男に、服部はこう言った。
「奥田さんは、章男さんの嫉妬だと言ってたけど」
章男は苦笑いして、
「嫉妬? 僕は嫉妬はするけれど、父に嫉妬したことなんか一度もないですよ」
そしてこう続けて、苦い顔をした。
「奥田さんは、いつも根も葉もない事を言いふらすから、困っているんですよ。本当にあの人は……」
章男ちゃん……。章男を思い浮かべる時、服部はどうしても章男ちゃんと呼びたくなってしまう。最近も章男の風聞は服部の耳に入るが、中には芳しくないものも多い。
「好き嫌いが激しい」、「イエスマンしかそばに置かない」、「芸能人との遊びが激しい」。
こうした風聞に、服部も思い当たる節があった。章男が、アジア本部本部長時代のことだ。
章男氏の弱点とは
ある時章男は、「服部さん、こいつは将来、俺の番頭になる男ですよ」と言って古谷俊男を紹介した。後に、「東京トヨペット社長」となる男だった。ところが数カ月後、古谷のことを聞くと、「服部さん、あの男はダメですよ」と言ったきり、章男が名前を挙げることは二度となかった。
しばらくして、「これはいいですよ。一番、中国に合う」と紹介してくれたのが、牛山雄造(後にトヨタ自動車常務)だった。けれど、この牛山も数カ月後、「もう牛山の顔も見たくない」と切られた。一事が万事、こんな調子だった。服部は、章男の好き嫌いだけで人を判断してしまうところを危惧し、一度こんな言葉でやんわりと注意を促したことがあった。